2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

その他

大村克巳『「はだしのゲン」創作の真実』中央公論新社,2013/11/25[*1] *1:中央図書館開架にあるので寄贈中止

DINO BOX

『黒い雨にうたれて』2005/08/06 『中沢啓治著作集(1)広島カープ誕生物語』2014/04/30

集英社JUMP リミックス

いわゆるコンビニ版『はだしのゲン』…2012年年末に作者・中沢啓治が亡くなったため,2013年版では連れ合いでありアシスタントでもあったみさよ氏の証言各4頁が増補されている 『はだしのゲン(1)非国民じゃないぞ編』(7刷)2013/08/14 『はだしのゲン(2)ピカド…

翠楊社ベストコミックス

『はだしのゲン 苦闘編 戦後編I,II』1977/05/01初版,1978/08/01(5刷)[*1] 『はだしのゲン 激動編 戦後編III』1978/07/15 [*2][*3][*4] *1:苦闘編:勝子との出会い・隆太との再会から賭場荒らしでやくざに追われる隆太が警察に出頭するまで *2:激動編:廃品回収…

『はだしのゲン』千葉県立中央図書館児童資料室へ寄贈

自分の手元に置いといてもごみになるだけなので…県立中央図書館児童資料室へ寄贈することにした

解放広場

京浜急行三崎口行き京急長沢下車徒歩20分 飯島機械土木(有) 横須賀市長沢1-59-12[*1]前の坂を登る 横浜市緑区で起きた米軍機墜落事故の碑が横須賀市長沢にあるのは, 横浜市が【米軍様や日本政府様に楯突く碑】の建立を認めなかったため 【参考図書】 根岸峰…

(米軍機墜落事故訴訟の)碑

碑文 1977年の米軍機墜落事故で椎葉悦子は全身大火傷を負った. 夫である椎葉寅生と二人の子の家族四人は国と米兵を被告に 事故原因の究明と責任の追究及制裁賠償を求め訴訟を提起した 県内外の民主的な団体・個人によって支援共闘会議を組織し300人を超える…

【平和の母子像】鳩よよみがえれ T.NISI 1985

平和の母子像/碑文 1977年9月27日厚木基地より空母ミッドウェーに向かっていた米軍機が横浜市緑区に墜落炎上9名が死傷,林裕一郎君3歳,康弘ちゃん1歳は焼死,全身やけどを負った母親の和枝さんは子どもの分まで生きて事故の証人になると苦しい治療に耐えたが事…

神奈川県解放戦士の碑

碑の由来 この解放戦士の碑は神奈川県下の平和と民主主義の運動のなかで逝った活動家を顕彰するために1982年11月たくさんの人々の浄財によって建立された この碑の建立制作のためには 岡崎一夫 山内忠吉 長野彰 陣之内鎮 齊藤秀夫 菊地由次 飯島松雄 飯島東 …

日本会議千葉設立15周年記念大会

『千葉縣神社廳報』No.98(2014/9/25)p.3 日本会議千葉設立15周年記念大会 日本会議千葉事務局長 北山秀彦 日本会議千葉(江口一雄会長)の創立15周年記念大会が8月25日,千葉市幕張で開催され,県内各地から814名の多くの会員が出席した 式典は二部構成でおこな…

出典

中沢啓治『はだしのゲン(2)ピカドン地獄編』集英社JUMP REMIX,2013/8/14(第6刷) p.542 [←*1] *1:第6刷表紙とは異なる:第6刷の絵は右半分に右手で麦を持つゲンを左手側から見た絵

仕事が終わったら朝市で買出し

家でネームをきっている時だと,声をかけられませんでした. たった一言の台詞がなかなか浮かんでこない時に話しかけると,今思い付きそうだったのにという感じがあるそうなのです. ネームをきるのはだいたい夜中でしたが,とにかく,静かにしていました でも,私…

いつも同じ店で飲んでいた

ネームをきったり,下書きしたり,ペン入れするのは家ですが,ストーリーを考えるのは外でした 「ちょっと出てくる」 昼食の後,午後2時か3時になると,主人はそう言って出かけていくのです. 喫茶店でストーリーを考え,それから古本屋に行き,そして飲み屋でお酒を…

隠れて始めた絵の練習

私は,結婚して初めて漫画とはどういうものかを知りました. 主人はネームが出来ると 「読んでみるか」 と見せてくれました. 読んでみると,ぐーっと引き込まれる感じですごく面白いんですね. こうやってストーリーを作るのかと感心したんです 1回分の20頁を描…

とことん追求したストーリーの面白さ

毎週毎週,主人はストーリー作りと格闘していました 隆太というキャラクターも,その格闘から生まれたんです. 主人の体験どおりに描いたら,お父さんと弟の進次が原爆でなくなった後,ゲンと絡むキャラクターがいなくなってしまいます. それまで,ゲンは進次と喧…

作家・中沢啓治の素顔【後編】

追悼特別企画/中沢みさよさんインタビュー夫人が語る作家・中沢啓治の素顔【後編】 前編では『はだしのゲン』の誕生秘話が明らかに!!今回は夫人と二人三脚で歩んできた漫画家・中沢啓治のプライベートに迫る!! 取材・文/鍋田吉郎 写真提供/中沢みさよ氏

「漫画を描いている時が一番楽しかったよ」

ストーリーが浮かぶまで,ずいぶん時間がかかり,生みの苦しみを味わっていました. ですが主人にとっては,物語を紡ぐために必要なその生みの苦しみこそ,漫画の楽しみ,人生の楽しみだったんです 昨年12月,主人が亡くなる直前のこと. 主人はソファにぼーっとした…

団地の四畳半で生まれた『はだしのゲン』

その頃,私たち夫婦は,結婚1年後に授かった娘と,江東区東砂[ひがしすな]の公営団地に住んでいました.『はだしのゲン』はその団地の四畳半の部屋で生まれました 主人が苦労していたのはストーリーです. ストーリーの面白さを追求するのにものすごい時間をかけ…

『はだしのゲン』の原型---『おれは見た』

『おれは見た』を描いた時,主人は初めて自分の被爆体験を私に話してくれました. その時までいっさい触れることのなかった話をです. 私も聞こうとは思っていませんでした. それを聞くことで主人が病気のことを考えたりしたら辛いじゃないですか. だからなるべ…

原爆への怒りを作品にする

結婚半年後,主人のお母さんが亡くなったんです. 葬儀を終え,広島からの帰りの電車の中,主人はずっと黙っていました. お弁当を食べる時も無言で,思い詰めたような顔をして,本当に一言もしゃべることなく… そして東京に戻って1年経ってから独立したのです 「独…

ふたりで東京中の映画館を訪ねた

その頃の私は漫画のことをいっさい知らないし,漫画家がどんな生活をしているかも全然知りませんでした. 生活が不安定かもしれないといった不安も特に感じていなくて. 私はのんきな性質なので,お互いの気が合えば生きていけるんじゃないかな,なんとかなるでし…

出会いは広島のビアガーデン

主人と出会ったのは1965年の夏,広島のビアガーデンででした 「うちの会社のお客さんが東京から遊びに来ているんだけど,明日東京に帰るそうなので,せっかくだから一緒に飲まない?」 そう友人から誘われたのです. 最初は全然知らない人と飲むのは気がひけまし…

作家・中沢啓治の素顔【前編】

追悼特別企画/中沢みさよさんインタビュー夫人が語る作家・中沢啓治の素顔【前編】 2012年12月19日. 惜しまれつつもこの世を去った漫画家・中沢啓治. 1千万部を超える名作『はだしのゲン』の著者が家族に見せた知られざる一面とは? 取材・文/鍋田吉郎 写真提…

ストーリーが浮かぶまで,ずいぶん時間がかかり,生みの苦しみを味わっていました. ですが主人にとっては,物語を紡ぐために必要なその生みの苦しみこそ,漫画の楽しみ,人生の楽しみだったんです 昨年12月,主人が亡くなる直前のこと. 主人はソファにぼーっとした…