1968-01-01から1年間の記事一覧
広津和郎氏は明治の文士広津柳浪の子である.柳浪は硯友社の異才といわれ,尾崎紅葉が弟子を多数持ったのと対照的に,そういうことを嫌ったという▼和郎氏の戦前の作品で広く読まれたのは『女給』である.「わたしゃ夜咲く酒場の花よ…」のメロディを覚えている人…
広津先生の突然の死で,心の中に永久に埋められることのない大きな穴が開いてしまった感じだ. 先生は二つの目を持っておられた人だ. その一つは,不正を憎む非常に厳しい目で,もう一つは松川事件の無実の家族や被告への,暖かい思いやりの目だ. 私たち弁護団や…
『世界』
『中央公論』
『群像』
健康状態の悪いことは知っていたが,がっかりした. 広津君は自分のためになることは,少しもしない人だった. 他人のためだけに没頭したその情熱は非常なものです. ぼくは松川事件の入り組んだ話を聞かされても,ぼくの頭ではさばき切れなかったが,広津君のいう…
『讀賣新聞』
広津先生の突然の死で,心の中に永久に埋められることのない大きな穴が開いてしまった感じだ. 先生は二つの目を持っておられた人だ. その一つは,不正を憎む非常に厳しい目で,もう一つは松川事件の無実の家族や被告への,暖かい思いやりの目だ. 私たち弁護団や…
作家広津柳浪氏の二男. 早稲田英文科卒. 大正6年中央公論に「神経病時代」を発表して認められた. おもな著作は「女給」「風雨強かるべし」「同時代の作家」など. 1951年(昭和26年),松川事件の被告が無実を訴えた手記を読んで「偽りでこんな素直な文章が書け…
広津さんの訃にいくつかの新聞をひろげてみた.朝日新聞「天声人語」で「わたしゃ夜咲く酒場の花よ…」が広津さんの作品「女給」によるものであることを,うかつにも初めて知った 「熱海の病院でひっそり」亡くなったという見出も悲しい. 淡々として,しかも超人…
→id:dempax:19680925
⇒id:dempax:29680923 『朝日新聞』
このほど『宮本百合子選集』(全巻,新日本出版社)が刊行されることになり,その第一回配本が28日に発売されますが広津和郎氏が,この選集の推薦文として執筆された「清潔な作家」が,さる21日に死去された同氏の絶筆となりました. 遺族の方の了承を得て,ここにそ…
21日死去した故広津和郎氏の日本文芸家協会葬(丹羽文雄葬儀委員長)が25日午後1時から2時まで,東京港区の青山葬儀所でしめやかにおこなわれ,日本共産党中央委員会の野坂参三議長,藤原惟人幹部会員,竹内七郎書記局員,戒谷春松書記局員などが参列しました 葬儀…
(略)
●▲江口渙 深い敬意をこめて ●▲阿部知二 とむらうものの責任⇒id:dempax:29680922 ●▲鈴木信(松川元被告) 真実に生きた人
広津さんは松川事件で無実の労働者が死刑にされようとした裁判の誤りをただすため全力をつくし,膨大な裁判資料を作家の鋭い目でとらえて書き続けただけでなく痛風に悩みながら全国を訴え歩きました. こうした活動は世界でも例がないと思います いまの日本に…
[写真説明]広津さん宅を弔問した袴田常任幹部会員 松川事件に心血をそそぎ,松川運動の父と慕われた作家の広津和郎氏(静岡県熱海市清水町**-**)が21日午前2時10分,静岡県熱海市の国立熱海病院で腎不全のため死去しました. 76歳 葬儀と告別式は25日午後1時から…
『赤旗』
I. 戦後の歴史学と歴史意識 遠山茂樹 序説 戦前と戦後の歴史学と歴史教育 1. 歴史学と歴史教育の再出発 (1)敗戦直後の天皇制批判 (2)津田史学の問題 (3)丸山真男と大塚久雄の理論の特色 (4)マルクス主義理論の動向 [以上見出しのみ,本節は低次元な政治的偏向…
復帰運動 (p.83-p.89 7p.)の章に限り拾っていく p.83 復帰運動 民族の悲願・祖国復帰の日 □●【p.83 1965/8/ 沖縄を訪問し那覇空港にてステートメントを発表する佐藤首相】(空港屋外,後ろにどでかい星条旗と日章旗●) □【p.84上 沖縄問題等懇談会主要メンバー …