1964-01-01から1年間の記事一覧
「松川」と私・妻・長男と 石川利夫(元守る会副会長,農林中央金庫勤務)…p.30-p.34⇒id:dempax:19640530
【写真頁i】 廣津和郎氏(名古屋中小企業センターホールにて) [下半分に] 散文精神について 廣島和郎 それはどんなことがあってもめげずに忍耐強く執念深くみだりに悲観も楽観もせず生き通して行く精神 - それが散文精神だと思います. それは直ぐ得意になった…
松川の火だね -わたしたちの歩いてきた道- [左下に]【会員証写真(原寸大)と会員証の言葉】 一人の人間を長い間だますことは出来る. 多くの人間を一時だますことも出来る. だが,多くの人間を長い間だますことは出来ない 松川裁判の歴史は,真実が民衆のものと…
松川の火だね [横書き著書名の下半分に写真]デモ行進先頭の横断幕「祝松川事件無罪判決/松川事件の真犯人を追及せよ/愛知県松川事件対策協議会」「…[前の横断幕に隠れ読めない]…/松川事件をでっち上げた者を処罰せよ/愛知県松川事件対策協議会」
松川の火だね…私たちの歩いてきた道
この[1953]年の12月22日第二審判決がありました. 私は1954年結婚しましたが,その翌年1955年6月3日三鷹事件最高裁判決の際に従組ニュースに次のように書いた「…家に帰ると妻が,三鷹事件の判決が出たね,ひどいね. という話をすぐ話しかけてきた. 彼女もひどく…
私が1952年8月に宮崎に転勤した以降に「松川」とかかわりをもったのだと思います 保釈になった二階堂園子さんがきたとき,早朝でしたか,職場に招いて話をうかがったこと,二階堂武夫さんからの返事の手紙を職場で回覧のあと従組機関紙にのせたことなどが,始ま…
6月16日の日記「5月の終りから6月のはじめにかけては,僕にとって大きな苦しみを経験した期間であった. 僕はこの期間に本当に「耐える」ということを僕は僕なりに覚えた. …6月4日に参議院の選挙があった. そしてあのような結果だった. 6月6日,共産党中央委員2…
「松川」と私・妻・長男と 石川利夫 「松川事件」に関心を抱いてきたのは,比較的に古かったような気がしますが「松川運動」に私が参加したのは,そう早い方ではありません あの1949年頃からの私自身をふりかえって,「松川」とのかかわりあいをしっかりたしか…
当時殆どの被告が宮城拘置所にいたのですから,私の職場でも松川のことを皆よく知っているのだろうと思っていたのですが,そうでなくてがっかりしました その年の12月下旬のある日曜日,東京千代田の守る会の人たちが,獄中被告面会にきたとき,宮城松対協でその…
『ホロコーストとポストモダン』 出版社: みすず書房 出版日: 2013/10/19 ISBN-10: 4622077930
右京頼三訳『ブーヘンヴァルトの日曜日』紀伊國屋書店,1995/12/22
(イヴ・モンタンの評伝)
isbn:9784000047852 榊原晃三訳『なんと美しい日曜日!ブーヘンワルト強制収容所・1944年冬』I,II 岩波現代選書,1986/11/06