1948-01-01から1年間の記事一覧
編集部 平和を守れとか,日本文化を守れ,といふことが非常に叫ばれている現在において守るべき日本文化とはどういふものか,どういふものでなければならぬのか,それをどういふ態度と方向で守らねばならぬか,といふことがまず問題になつてくるやうに思ひます
『中央公論』vol.63(No.5)通卷711号(1948/5) p.4-p.9
最後に,國際主義と民族主義を見よう 今日,多くの日本人はこんな考え方をしている. たしかに保守の連中は國内政策ではあまり政策がない. しかし,特殊な國際的環境におかれた日本において,やはり對外問題の解決が急務であり,そのためには保守の連中もある種の…
今日,日本において昔のままの軍國主義宣傳はないが,しかし,民族主義はつよい力をもつている. 自由黨が「救國」を一枚看板にしたり,片山内閣が成立したとき,社會黨が保守との連立を合理化するために,獨特の民族危機論をあみ出したごときはそのよい例である. …
いままで日本人は「個人のことは犠牲にしても,とにかく國のこと,民族のことはよく考える國民だ」と考えてきた. それにひきかえ「欧米人や中國人などは,個人のことばかり考えて,國のことなどは考えない國民である」と教えられ,多くの人々がそう考えてきた. そ…
私はここで日本の民族問題を全面的に取り扱うのではない. ただ,民族問題の取り上げ方についての一般的なことを考察して見たいと考えるのである 科学的な意味での民族ということが,資本主義の發生に關連し,また基本的[*1]には,それと運命をともにしていること…
國際主義と民族主義 中西功 『中央公論』1948年5月號
ここでは彼のいま一つの新年論文「新しきユウトピア」『日本評論』1月号について,彼の啓蒙の教条を検討しよう 共産主義は,すべてが共有される社会の幻想ではなくして,働く人民が解放せらるべき条件が成熟して来たことを知る理論である p.15 わたしはこれを肯…
『評論』1948/1月号の羽仁五郎君の「哲学と死」にたいして,わたしは後出の,一文を『東京大学新聞』に寄せた. 終戦後の羽仁君は啓蒙家として人もゆるし,みずからも任じていると思われる. わたしもそれをかれにゆるしてきた一人である. そのためわたしは昨年ま…
【7】 「最新25年間に,諸状勢は甚だしく変化したけれども,この『宣言』のなかに展開されている一般的原則は,大体においてはいまもなお,その完全な正しさを保持している. 個々のことは,ところどころ,改めねばならぬものがあるであろう…」(『宣言』1872年ドイ…
羽仁君はそのリッケルトに,ハイデルベルヒ大学で学ぶしあわせをもった人である. 自分について恥をさらせば,わたしは哲学でも史学でもなく,羽仁君と同じ東大で志賀義雄と一緒に社会学を専攻したのであるが,恥をさらすという意味は,志賀もわたしもあらかじめ「…
ふたたび西周に話を戻せば,かれはその当時陸軍省四等出仕筆頭文官で,あと7年たつと,ポツダム宣言受諾の日まで効力をもった「軍人勅諭」の執筆者となって,男爵たるべき基礎をつくるのであるが,先に引用したかれの韓図から俾歇児に及び,墺及斯多・■度から寳雑…