1958-01-01から1年間の記事一覧

藤井日達「清らかな誓願を発[おこ]しなさい」

清らかな誓願を発[おこ]しなさい 藤井日達 できる、できないは、その日の問題ではない。自分の誓願のもとに、毎日、毎日動いていけば、それが積もり積もった時に、天の助けがあり、天の時が廻って[めぐって]来る。そこに大きい仏事が現れる。仏事の現れるま…

阿部公房「組織者の役割 広津和郎---中央公論緊急増刊『松川裁判』」

【書評】組織者の役割 広津和郎--中央公論緊急増刊『松川裁判特別号』 阿部公房 こういう内容のものが,雑誌の形で出されたということは,単にこれまで書かれたことが一巻にまとめられたという以上の積極的なものを感じさせる. 雑誌という形式の本来あるべき機…

表紙レイアウト

中央公論 緊急増刊 松川裁判特別号 目次

1959年8月10日の最高裁大法廷(破棄差戻し)判決前後に出版された『中央公論』緊急増刊 松川裁判特別号の内容は以下の通り

平和行進第8日

朝7時過ぎ横浜市役所を出発したわれわれは途中鶴見区役所で区民の大歓迎を受け小休止の後再び歩みを京浜国道に向けた 午前9時ごろ2000人を越す川崎市民の出迎える中を川崎市役所に到着した ここで川崎市出来町の子供会「木の葉グループ」が地区のドッジボー…

平和行進第7日

労組の赤旗や県原水協の緑の旗が立ち並ぶ「海の平和祭」会場には約一万の参加者が諸外国の各代表とともに耳も裂けんばかりの拍手で迎えてくれる 「さあ出発しよう」 鎌倉市議郷原さんの先導で行進を開始した 紙吹雪で迎える横浜の市民たち 途中 横浜に入つて…

平和行進第6日

早朝 三浦市を出発したわれわれは途中 横須賀市武山 大浦を過ぎて葉山町へ入る 御用邸横から長者ヶ崎へ抜けて ここで葉山町長他の歓迎を受けて二度目の鎌倉入りをする ひとまず宿舎に入った一行は夜になつて「第七回海の平和祭前夜祭」に出席し「平和の乙女…

平和行進第5日

午前9時横須賀市役所前を長野市長らの激励市民の声援と拍手の中を 三浦市原水協代表の宮口さんに先導されて出発したわれわれは大津馬堀と過ぎ浦賀ドック労組の歓待を受け 野毛から三浦市に入り 三蔭高校下まで進む ここで隊列を整えてだらだら坂を下り市内行…

平和行進第4日目

午前10時片瀬竜口寺で鎌倉側に引継がれた「平和行進」は海水浴客で賑わう市内を行進し午後名越長勝寺で逗子にバトンを渡した 逗子市内を通り沼間トンネルを越えて横須賀市中の行進に入つたのは午後5時頃だつたろうか 500人以上の長い列になつた横須賀市役所…

平和行進3日目

茅ヶ崎市の町中にも「有難うございます 頑張って下さい」と顔を押えて泣きながら 子供と共に手を振りながらいつまでも見送つてくれた婦人がいた 辻堂演習地の横で自衛隊のいんいんと轟く砲声になお一層平和えの闘志を強めたわれわれは茅ヶ崎二中で昼食の後藤…

平和行進第2日目[*1]

翌日 小田原で大蔵省造幣局の労働者の皆さんと一緒に出迎えてくれた幼稚園児の可愛らしい制服姿も忘れられないものの一つだ平塚への引継は国府津海岸で行われた昨日の疲れも厭わず陣頭指揮をされる助役の西田さんもさることながら総務課長の岡本さん始め庶務…

神奈川縣原水協ニュース 1958/08/15 6面 湧き上った全県平和行進 2/e

⇒ id:dempax:19580815 から続く

関連図書

小林徹 編・解説「原水爆禁止運動資料集」緑蔭書房 被爆40年と原水爆禁止運動編集委員会編集 日本リアリズム写真集団協力「写真記録 ドキュメント 1945→1985 核兵器のない世界を」原水爆禁止日本協議会,1987/01/30

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「朝日新聞」1958/06/20 夕刊(5面) 原爆反対の歌高く/広島 - 東京間「平和行進」始まる id:dempax:19580620 日本共産党機関紙日刊「アカハタ」の報道 1958/06/23-06/30 id:dempax:19580623 [*1] 原水爆禁止日本協議会 原水爆禁止ニュース No.61(1958/07/01) 3面 核…

第2日目

⇒ id:dempax:19580820 へ続く

第1日目

「広島・東京1000キロ平和大行進」[*1]の西本あつしさんの一行を湯河原町吉浜にお迎えしたのは8月4日午前9時半頃だつた 砂川闘争で「弁慶さん」などと渾名を付けられた西本さん[*2]のたくましい姿は 1年前と少しも変わらない 岡山から参加の一行中ただひとり…

出典

小林徹編集・解説『原水爆禁止運動資料集 第5巻[1958年]』緑蔭書房,1996/02/29 p.356 沸き上った全県 平和行進山野を越えて共に歩いた8日間 原水爆禁止の悲願をこめて

西本氏あいさつ

西本敦氏挨拶=平和行進の西本です 各県の参加者に代りまして 海の遠くからまいられました外国の代表の方々 全日本から集まられた皆さまに心から御挨拶申します 次に平和行進の代表の方々を紹介します 紹介された人びとの名前 増本紫雲(岡山代表) 滝武一郎(抗…

【出典】

「第4回 原水爆禁止世界大会 議事速報 第1日(8月12日) 総会」日本原水協 p.4 … 復刻版『原水爆禁止運動資料集 第V巻(1958年)』p.192 による

【2】全国自転車リレー式平和行進について

1000キロ平和行進と前後して 全国自転車リレーによる平和行進を行う これは 青年諸団体(総評青婦協,国鉄青年部,日本青年団協議会,全国学生総連合,くらしの会,社会党青年部)が実行委員会を作り準備を進めている 原水協もこの一員に加わりこれに参加する (A) …

【1】「核武装阻止・民主主義擁護 広島東京1000キロ行進」について

【現況】 「日本の核武装を断固阻止する」という固い決意を込めて 去る6月20日広島の爆心地を出発した一行は 暑さにもめげず既に四府県 21主要都市(500キロ)を通過し本日京都府内に入った (A) 全行程1000キロの約1/2を既に踏破した (B) 行進参加者延人員は婦…

「核武装阻止・民主主義擁護国民運動月間 中間発表」 原水爆禁止日本協議会

「核武装阻止」運動空前の盛上り 核武装阻止・民主主義擁護国民運動月間 中間発表 原水爆禁止日本協議会[*1] *1:日付不明 『原水爆禁止運動資料集 第5巻(1958年)』目次では「1958年7月」となっている 「現況」7/9 全国自転車平和行進出発7/12から 7月10日か7…

「核武装阻止・民主主義擁護国民運動月間 中間発表」 日本原水協

「核武装阻止・民主主義擁護国民運動月間の現状」1958/07/09 id:dempax:19580709 id:dempax:29580705 から続く

【1】1000キロ平和行進[*2]

6月20日広島を出発した1000キロ平和行進は沿道各県原水協の積極的参加と協力を得つつ盛大な発展を示している [7月]9日現在までに判明した各地の状況は大略次の通りである 【広島県】 広島市(6/20) 150名が行進に参加 スーダン代表ママドウ氏・森滝[市郎]広島…

出典

小林徹編/解説『原水爆禁止運動資料集 第5巻 1958年』緑蔭書房,1996/02/29,p.151-p.153 謝辞)千葉市中央図書館の蔵書を利用させて頂きました 御世話になった司書さん・受付の皆様に感謝します 1958年7月9日 「核武装阻止・民主主義擁護国民運動月間」の現況 …

ぱっちりした目が 飯島喜美さんのこと … 山本菊代

ぱっちりした目が 飯島喜美さんのこと 山本菊代 『前衛』(1958年)3月号の伊藤憲一氏の「無名戦士の墓に」を読み飯島さんのことを記憶をたどりながら書きます 飯島さんは私が昭和8年[1933年]5月に検挙され, 大井署から上野署にたらい回しされていたとき, 私よ…

関連拙クロニクル

http://d.hatena.ne.jp/dempax/19580623

出典

小林徹編集・解説『原水爆禁止運動資料集 第5巻[1958年]』緑蔭書房,1996/02/29 p.147 初出 原水爆禁止日本協議会「原水爆禁止ニュース」No.61(1958/7/1) 3面

原水爆禁止ニュース[*3] No.61(1958/7/1) 3面

核武装阻止の平和行進・200キロを踏破 沿道各地の運動を盛り上げながら 岡山県から2名参加・東京まで 6月20日世界最初の原爆投下地 広島市を出発した「核武装阻止と民主主義を守る」一千キロ平和行進は沿道各地で盛大な歓迎と支援を受けながら一路東京に向っ…

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■ 日本山妙法寺 藤井日逹師の発言等 「原子力と人類の将来」http://d.hatena.ne.jp/dempax/19570201 【初出】『宝塔』第4號 p.2-p.3,日本山妙法寺渋谷道場内「宝塔」,1957/02/01 【出典】 小林徹編・解説 (復刻)『原水爆禁止運動資料集 第4卷(1957年)』緑蔭書房…