2017-10-03から1日間の記事一覧

10.今のは神様ではないか(代見浦)

某在郷軍人の談に曰く 追想せば今を去る7年前 … 大震災の當時は誰も飲まず喰はず着のみ着のままで一夜を明かしたのであつたが此の惨たる有様に人知れず奇特な働きを獻げられた者がある 吉田哲夫氏(假名)は1日の震災に負傷して身動きも出來なかつた始末であつ…

9.美事(川名利夫)

北條町長須上野幹太郎氏は震災の時 日が暮れると家人車夫に命じて所有の米を罹災者に分配してくれた 而もその仕方は「今夜此処にお米を少々置いて行きますからお上がり下さい」と置いて暗に隱れて行くので人々は神様ではないかと思つたさうである そして9月1…

8.職務に身を忘れて(石野正)

我が瀧田村は彼の大震災に當り 比較的被害少かりし爲 青年團 消防団員の大部分は被害甚大なりし北條那古船形方面に出動して避難民救助消防やら糧食の配給等に寝食を忘れて盡力すること3日間に及んだ 特に火災の多かりし船形町には村内有志より多大の米穀と牛…

7.自家の倒潰を忘れて他の爲に狂奔(富浦村役場)

常には職務の爲に身を犠牲にしなければならぬとか責任觀念を盡さねばならぬとか言ひ得るが一朝自分の家が非常の迫害に遭うとなると大抵の者が他を顧みる勇氣がなく先ず自分の家の事に力を向けるのが普通であるに此處に克く其の職務を盡して衆人を感激させた…

6.無料治療(船形尋常高等小學校)

船形町中村龜七(明治4年4月13日生)は町醫・學校醫の職にあり震災に際し家屋倒潰せし上火災の爲身を以て逃れ出で 身には數箇所の打撲傷を負ひ普通の人ならば身動きもならぬ有様であるのに君は襦袢一枚を着せしまま鞄一箇を取り出し他は皆焼失せしに多數の負傷…

5.負傷者が大切(船形町役場)

船形町川名岡本哲郎なる人(慶應3年生[うまれ])は町醫及學校醫の職にあり 震災に際し家屋倒潰加ふるに令嬢は壓死せられたにも拘らず多數の負傷病者の無料治療に從事せられしこと月餘に及ぶ 全く一身一家を犠牲にしての行動は人々皆敬意を表し感謝しない者はな…

4.鋸を持って活動(舟形町尋常高等小學校長 忍足清)

船形町川名澤口常太郎(明治36年生)は大工の職にあり小學校時代より成績優良にして快活勇敢であつた 大震災に際し惨状を見るや直ちに鋸鉈を携へて勇敢なる活動をなし倒潰せる家屋に壓せられたる舟形町川名高尾善二郎外13名を救助した 其の勇敢なる態度と犠牲…

3.恩に感じ工場に奮闘(船橋町役場)

船橋町九日市麸製造所 元消防組頭大野善兵衛は12年10月習志野収容所の副官古賀少佐を訪ひ 同所に収容中の避難民中最も哀むべき孤兒の養育方を申込み 當時深川區平井町民五郎長男昌一(當時9歳)を引き取り爾來殆ど我子の如く義務教育の終るまで通學せしめたる…

2.精米機が役に立つ(總元村役場)

本村大字石神 中田中(當時29歳)は同所長田精米所の精米機運轉用發動機の破損品の修繕及部品購入を依頼せられ 8月31日本村出發横濱市某鐡工所に至り9月1日部分品を購入し 修繕品を修理中突然彼の大震災に遭遇し 忽ち家屋倒潰し下敷となり 顔面其の他に十數ヶ…

1.数百の生命を救つた漁船(富津小學校)

海邉は恐怖と興奮とに目の色を變へた老若男女で一ぱいであつた 對岸七里横濱の邉り黒烟濛々天に漲る 心痛の色は人々の面上にあふれた 横濱全滅の聲は嵐の様に傳はつて来た 救援隊は號令を要せずして集まる身躰強健海を陸と心得て恁ふした救難に一種の興味さ…

id:dempax:19240601 IV-3章 篤行美談竝笑話 非常時に處して篤行美事笑話など數限りなく多いであらうが 多くを知るを得なかったのは遺憾であつた 第1節に於ては篤行美事に屬するものを掲げ殊に記事の簡單なるもの輕易なるもの其の他の救援活躍斷片の如きもの…