7.自家の倒潰を忘れて他の爲に狂奔(富浦村役場)

常には職務の爲に身を犠牲にしなければならぬとか責任觀念を盡さねばならぬとか言ひ得るが一朝自分の家が非常の迫害に遭うとなると大抵の者が他を顧みる勇氣がなく先ず自分の家の事に力を向けるのが普通であるに此處に克く其の職務を盡して衆人を感激させた人がある


本村富岡區に出口市助と言ふ極實直なる人がある 家は夫婦二人きりである 年は其の年66歳普通であれば隠居する年頃であるに擧げられて同區の區長をして居る かの震災に全潰の憂目を見て居る責任感の強い氏は家の事を顧みる餘裕がない 老婆に後を託して自分は直に區内を駆け巡り 被害の状況を調べたり火の用心をさせたり 區民を安全地帯に避難させることに氣を揉んだ 殊に區内に1名の行方不明者があると云ふのを八方手分して捜索したり其の夜は一睡もせず徹宵盡力奔走して過した 翌日は被害の調査やら救助の方法を講究する爲或は救護所に相談し役場當局の意見を尋ね引續きて罹災民の調査やら救助物資の配給やら道路交通の整理やら八方區内罹災の救助に席温まる暇なき有様 而も自分の家は倒潰したまま打捨ててある 手をつける暇がないのである 區内消防夫や青年團員等は相謀り區長の此の好意を深く感謝し「吾等は區長のあの厚意を晏然黙視することは出来ない 何としても區長の家のあの状態を見捨てて置かれない」と議一決した 直に翌日から一同集つて二日に亙つて倒潰家屋の取片付から假建築の造營やらまで全部家人の手を煩はさずにすつかり出来あげてしまつた そして彼等は「此れで吾々幾分安心出来る」と滿足した 市助氏はこの人達の厚意を感謝した


氏の職務に誠實なるは單に該區内のみならず村内一般に之を認めて 其の行爲に敬意を表しない者はなかつた


大正13年1月1日銀杯一組を贈りて當局は氏の功勞を表彰した