『赤旗』1968/09/22 7面-1段 広津和郎氏が死去 共産党 袴田常任幹部会員ら弔問

[写真説明]広津さん宅を弔問した袴田常任幹部会員


松川事件に心血をそそぎ,松川運動の父と慕われた作家の広津和郎氏(静岡県熱海市清水町**-**)が21日午前2時10分,静岡県熱海市の国立熱海病院で腎不全のため死去しました. 76歳


葬儀と告別式は25日午後1時から3時まで東京・港区の青山葬儀所日本文芸家協会葬(丹羽文雄葬儀委員長)でおこなわれます. 喪主は長女・桃子さん. 通夜は24日午後6時から8時まで同葬儀所でおこなわれます


広津和郎氏は明治24年12月5日東京生まれ. 麻布中学から早稲田大学英文科を卒業. 在学中に谷崎精二,相馬泰三,葛西善蔵等と同人雑誌『奇蹟』を創刊. 卒業後東京毎夕新聞に就職し,半年で退社. その時の経験が出世作『神経病時代』となり,その後『風雨強かるべし』『泉への道』等を発表,また多くの文芸評論や自伝的回想『年月のあしあと』『続・年月のあしあと』があります


同氏はまた,松川事件をはじめ,青梅事件,八海事件等にとりくみ,真実を明らかにするためにその後半生をそそぎました


松川裁判では『中央公論』誌上に『松川裁判』を執筆,親友の作家宇野浩二氏とともに松川運動を文化人などのなかに広げる大きな役割を果たしました. また,同氏は,被告団への募金活動や講演で全国をかけめぐり,無罪判決を勝ち取る大きな力となりました


その後,青梅事件でも,口頭弁論の傍聴記録を執筆,みずから嘆願書をかいて裁判所に提出するなど被告の無罪をかちとるために奮闘しました. 最近では,八海事件にとりくみ,老体をおして口頭弁論を傍聴,『世界』10月号に「八海事件について」の第6回を発表したばかりでした


日本共産党中央委員会袴田里見常任幹部会員,同岡林辰雄中央委員(松川事件主任弁護人)が同日午前,弔問にかけつけたほか,松川事件元被告の本田昇氏,佐藤一氏や青梅事件元被告の野崎邦夫氏,八海事件関係者,各弁護士などがつめかけ,また同夜,自宅でおこなわれた通夜には共産党林百郎代議士がかけつけました