『日本経済新聞』1968/09/21(夕刊) 11-9【訃報】広津和郎氏(作家・芸術院会員) 日午前時分熱海市の国立熱海病院で腎不全のため死去. 自宅は熱海市清水町**-* 告別式は日午後時から東京・青山葬儀所で日本文芸家協会葬 喪主は長女桃子さん


作家広津柳浪氏の二男. 早稲田英文科卒. 大正6年中央公論に「神経病時代」を発表して認められた. おもな著作は「女給」「風雨強かるべし」「同時代の作家」など.


1951年(昭和26年),松川事件の被告が無実を訴えた手記を読んで「偽りでこんな素直な文章が書けるはずがない」と確信,1953年10月の中央公論に「真実を訴える」を発表して裁判批判を4年半にわたって書き続けた. 1958年,全国松川事件対策協議会会長に推され,1963年9月,被告全員の無罪が確定するまでに全国で126回の講演会を開き被告たちの無罪を訴えた


1966年からは「八海事件を救う会」の発起人の一人として無罪論に取り組んでいた

毎日新聞