阿部公房「組織者の役割 広津和郎---中央公論緊急増刊『松川裁判』」

【書評】組織者の役割 広津和郎--中央公論緊急増刊『松川裁判特別号』

阿部公房


こういう内容のものが,雑誌の形で出されたということは,単にこれまで書かれたことが一巻にまとめられたという以上の積極的なものを感じさせる. 雑誌という形式の本来あるべき機能と可能性を,あらためて思い出させる. 雑誌は,保存されるよりも,使われるものであり,それはふつう消費という何かはかない概念と結び付くものだが,この場合は逆に,保存ではなしえない,使用でしか果たしえない能動的で有効な力を発揮しているのだ. この雑誌は権力の胸元に突きつけられた,恐るべきペンの刃である


そして,こういう雑誌を可能にしたのは、やはり広津氏のこの恐るべき仕事ぶりであろう. 広津氏の仕事がなかったら,はたしてこれほどの威力をもった雑誌が出来たかどうか,うたがわしい. その点で,私は文句なしに脱帽するものだが,しかし同時にある種の不満も感じないわけにはいかないのだ


それはむろん広津氏に対してではない. この雑誌に対してでもない. これほど明白な抗議にもかかわらず,そして広津氏の仕事ぶりを認めているにもかかわらず,なおかつ広津氏の仕事だけを他の無数の松川批判と区別し,切り離して評価しようとする,文学者名士たちの奇怪な心情についてである


おそらくこれは世間の常識というやつに従い,従っていることを公示することで,身の安全を保とうという処世術からくるものなのだろうが,これほど広津氏が望んだことと逆の評価はないように思うのだ. 広津氏の全文をつらぬく精神は,まさにそうした非政治的な良識に対する抗議なのである. 広津氏がこの批判文の中で,ことさら政治的な表現を避け,一切の想像を排しているのは,そうした世間の良識の壁がいかに打ち破りがたく厚いものであるかを,よく心得ていたからにほかなるまい. しかしそのまえにためらったのではなく,それを打壊すためにこそ,こうしたスタイルが選ばれたに違いないのである


この労作は,あくまでも読者大衆に向かって書かれたものであり,判事や自分自身の良心のために費やされたものでないことは誰の目にも明らかだ. にもかかわらず,多くの良識的文学者たちが--たとえばこの雑誌のうしろに付録としておさめられている,アンケート類の大半にしてからが--広津氏の仕事を単に非政治的なことで他から区別し評価しようとしている


一応は認めることで,良識的であるところを見せ,しかも他の松川批判の動きと区別することで,さらに「よい子」であるところを見せようというわけだ. まったく見苦しいというよりほかはない


広津氏はただ書いたのではない. 被告の無罪を確認し,それを救うために書いたのだ. 一般的な裁判の不条理を衝くためではなく,この裁判の背景にある具体的な矛盾を具体的に衝いているのである. しかもその矛盾を構成しているものが,きわめて政治的なものであり,判事の良識にまつといったやり方では安心できないと知ったからこそ,全力をあげて大衆に呼びかけたのではないか. 松川裁判に対して行われる無罪釈放の要求は,それがいかなる形のものであれ,広津氏にとってはよろこばしいものであるはずであり,それらから区別されることなど望むはずもないのである


じっさい,この雑誌が果たす役割にしても,これが組織者の役割を果たしているからこそ,現実的なのだ. そしてこの労作に対するいかなる形而上的評価も,すべてこの現実的な役割の評価のうえにたって,はじめて可能になるのである


広津氏の仕事の陰にかくれて「よい子」ぶりを発揮するようなこそ泥的評価は,いくら美辞麗句を並べたところで,けっきょくは氏の努力を傷つけ,その意思を踏みにじるものにほかなるまい


大事なことは,広津氏が作家であることや,情熱の人であることや,共産主義者ではないというようなことではなく,あくまでも大衆の自覚を一歩進めることで果たした組織者としての役割にあることを,私はくりかえし強調したいと思うのである. そしてこの雑誌は,現にそうした役割を果たしてくれるに違いない



【出典】『阿部公房全集009』新潮社,1998/04/10 p.342-p.343


安部公房全集 (009)


【初出】『日本読書新聞』1958/11/03