【1】1000キロ平和行進[*2]

6月20日広島を出発した1000キロ平和行進は沿道各県原水協の積極的参加と協力を得つつ盛大な発展を示している


[7月]9日現在までに判明した各地の状況は大略次の通りである


広島県


広島市(6/20) 150名が行進に参加 スーダン代表ママドウ氏・森滝[市郎]広島原水協理事長[*1]氏もこの行進に参加 呉市へ向かった


呉市(6/21) 市長夫人以下十数名が吉浦まで出迎え 21日には約名が市中行進を行つた 市では宣伝カーを出し 市内に宣伝 市長を始め多数が歓迎に協力した 一行は安浦町・竹原を通過し 23日三原市に到着した


三原市(6/24) 三原では労組中心に約100名が行進に参加し市長も歓迎に出向いた


尾道市(25) 尾道では300名が出迎え共に行進に参加した 地区労・婦人団体・遺族会・被害者団体が積極的に協力した 市では助役以下が出迎え 夜は一行を囲んで懇談会を開いた 尾道-福山間は降雨にも不拘[かかわらず]20名が行進に参加した



岡山県】[*2]


笹岡市(27) 白銀山病院長 瀬崎正夫氏指揮のもとに歓迎体制をとり 助役以下が出迎えに参加した 参加人員200名


玉島市(28) 市では横断幕を飾り全市が歓迎態勢に入り堀口市長・朝倉議長・原田原水協代表が出迎え200名が参加した


倉敷市(29) 岡山原水協常任理事 大源氏以下歓迎体制を取り 三宅市会議長も参加した 市中行進参加者60名 歓迎大会には200名が参加した


岡山市(30) 岡山市では一行を迎え先ず200名が参加して第一次歓迎大会を開き 午後市中行進には200名が参加した 更に一行は市公会堂に入り名の集会を開き歓迎を受けた 夜市公会堂では「岡山市戦災記念平和祭」が開かれ1200名が参加した 同集会には知事代理が挨拶を寄せ 安井理事長・平野義太郎代表委員の記念講演が行われた


瀬戸市(7/1) 町外れから500名の町民が行進に参加し 到着後 役場2階会議室で土井町長・片山町会議長を始め60名が参加した 一行は三石町を経て(一行には三石町長 三石中学生等150名が参加)


赤穂市(7/3) 赤穂市では兵庫県原水協・山崎赤穂市助役・橋本市会副議長らが県境まで出迎えに出た 市内では赤穂小児童名が市役所前で出迎えた


龍野市(7/4) 衣笠市長を始め労組・婦人会・青年団・龍野高校生約名が姫路市境まで行進した 一行は姫路・加古川を経て 5日 明石市に入った


明石市(7/7) 神戸大学生名が行進に参加 歓迎の集会を開いた(詳[細 欠]不明)


神戸市(7/8) 西神戸まで一行を出迎え 労組(金属・教組)・婦人・被爆者等が歓迎し 行進には約名が参加した 途中一行は永田神社に参拝し「原水爆禁止・核武装阻止」を祈願した 一方神戸では兵庫教組前で集会を開き金井副知事の挨拶をうけ 市庁舎前で市長代理の挨拶をうけた 行進参加者は500名であつた


⇒以下へ続く id:dempax:29580705



■ 「核武装阻止・民主主義擁護国民運動月間」の現況 原水爆禁止日本協議会 1958/7/9


【2】地方自治体の決議状況


【3】7・20平和大行進デー




*1:森滝市郎 … 1958年当時 広島県原水協事務局長 日本被爆者団体協議会[1956年8月10日 第2回原水爆禁止世界大会2日目 長崎・国際文化会館で結成大会 被爆40年と原水爆禁止運動編集委員会『写真記録 ドキュメント 1945→1985 核兵器のない世界を』原水爆禁止日本協議会,1987/01/30,p.54 写真No.54説明文より](被団協)代表 1964年の原水爆禁止運動「分裂」に際しては日本被団協の統一を守り抜く

*2:兵庫県】が抜けているが兵庫県赤穂市からか瀬戸市からなのか調査中なう