藤井日達「清らかな誓願を発[おこ]しなさい」

清らかな誓願を発[おこ]しなさい

藤井日達


できる、できないは、その日の問題ではない。自分の誓願のもとに、毎日、毎日動いていけば、それが積もり積もった時に、天の助けがあり、天の時が廻って[めぐって]来る。そこに大きい仏事が現れる。仏事の現れるまでは、その誓願のままに動いていくより他に仕方がない


渡世[*1][*2]をしてはいけない。渡世をする心が起こった時には、もはや誓願なんてものはあるものではない。できなくても良いから、清らかな誓願、できなくても良いから大きい誓願、御祖師様のお心をそのまま受け継いだって恥ずかしいことはない。御祖師様のご誓願を我が身に受け継いでいけば良い。皆、大誓願を発しなさい


御祖師様は晩年、身延山のお山ですらも、困難なご生活が続いております。安楽に渡世をする毎日があって良いものでしょうか


清らかな誓願を発しなさい。そうして、その誓願が実現するまで、誓願に従って、我が身を動かしなさい


あなた方も自分で清らかな良い誓願を発して動きなさい。間違って渡世のできるところに腰をすえたら、もういけない。それは渡世のお坊様、日本山のお弟子ではない。日蓮大聖人のお弟子ではありません。「一天四海 皆帰妙法[いちてんしかいかいきみょうほう]」になるまでは、私らの仕事は大変忙しいはずなんです



初出『天鼓』1985/5月号 p.74-p.75


日本山妙法寺出版部『天鼓』2016/9月号に再録

*1:渡世…金儲けの意、本来の出家は全ての所有物を捨てる、が、日本の「葬式仏教」は檀家制度なる封建支配の枠組みの中で、金儲けの手段となってしまった

*2:日本共産党の地方議員や国会議員であっても、金銭問題、保守主要会派との馴れ合い、公安警察との馴れ合い等の転落の道から無縁でいられるとは限らない…注は共に記事紹介者による