朝日新聞 1955/08/15 (4面) 【十周年特集/終戦後の苦心】


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鏑木清一証言(聞き手:三国一朗) 補足として与謝野光[*1]の敗戦十周年座談会での発言を紹介


座談会出席者(「/」以下は敗戦直後の職名)


内閣官房長官 田中栄一/終戦連絡中央事務局第4(設営)部長


東京都衛生局長 与謝野光/東京都防疫課長[*2]


民主党衆議院議員 福田赳夫/大蔵省官房長


右社参議院議員 曽禰益 /終戦連絡中央事務局第1(政治)部長


衆議院事務総長 大池真 /衆議院書記官長



出典: 朝日新聞縮刷版 1955年8月 p.174

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与謝野光 9月の14、15日[*3]だったか、マックアーサー司令部から呼び出しがかかったので、行ってみると実は君を呼んだのはこういうわけだといって大きな東京の航空写真を出して、実は折り入って頼むのだけれど兵隊のために女の人を世話してくれという。(笑)よく調べたものでそういう場所は地図にちゃんと点が打ってある。将校にはどこ、白人兵にはどこ、黒人兵にはどこがいいだろうか相談に乗ってくれという。将校はいいけれども、黒人兵には僕も弱った。後で恨まれるだろうと思って。(笑)仕方なしにある場所を考えたんだが……。その時性病でもうつされては困るから予防措置をやれと言われたが薬がないから責任が持ちきれないと言うと、よろしい、薬は必要なだけやろうといってダイヤジン、ペニシリンを幾らでも無料でくれて、こういう方式で検診治療をやれ、責任は都知事が持てといったから仕方なしに花柳界に診療所をつくって都の職員の手で検診治療をやった。


[…中略…]


福田赳夫 私どもが進駐軍がやって来る前から一番心配しておったのは札の問題だった。何とかして日本の札を使ってもらいたいと非常に心配しておった。8月末になって進駐軍がやって来た時、大蔵省からは日本札を随分用意して厚木へ乗込んだ。当時、札が非常に逼迫していて、戦争で印刷能力もなくなっており、しかも一ヵ所に貯蔵しておって爆撃されたのでは困るので全国各地に分散しておった。そこで終戦になったから軍の支払い、銀行預金の引き出しなどが行われ札がどんどん出て行く。その札の備えがなかなか十分でない。アメリカの方でも日本では札がないんじゃないかという心配もあったらしいから札はあるんだというところを見せようと方々からかき集め、示威運動をしたわけだが、どうも向こうでは軍票なんかを用意しておる形跡でなかなか日本の札を使うといわない。結局いろいろ裏表の努力もしてアメリカのドルは使わないということになった……


曽禰益 戦争に負けても軍人はまだいばっていて「降伏」の「降」は仕方ないが「伏」の字は「伏せる」という字なんで、この「伏」の字だけは使うのをやめて「降服」と直してくれというんだね。(笑)



与謝野光

*1:与謝野馨の父かな

*2:性病対策が防疫課の担当であることは理解できるが「女の人を世話する」ことを東京都防疫課が担当していたのだろうか、胡散臭い放言としか読めない、与謝野馨氏辺りなら説明できるのだろうか

*3:SCAP公衆衛生福祉局の性病予防対策会議が09/11:『占領と性』p.17