「朝鮮進駐軍」について


「占領軍」を「進駐軍」と呼び変えるのは、大日本帝国の敗戦を認めたくない日本の支配層・極右達であり、「進駐軍」は解放された朝鮮民衆の使う言葉ではありません



【朝鮮進駐軍】デマについてはリンク先とコメント欄をお読み下さい


http://ni0615.iza.ne.jp/m/blog/entry/1621917/


http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/124262/111250/63453446


http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100523#p1


■『鳩山一郎回顧録』、不名誉にも「朝鮮進駐軍」デマのネタにされhttp://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2702.html


15年戦争資料/「朝鮮進駐軍http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2685.html?PHPSESSID=5fc4e5de6c1cda22e7fa7d390115b1de



ヤミ市については笠原和夫脚本・深作欣治監督の『仁義なき闘い』第1作と第2作『仁義なき闘い/広島死闘篇』が参考になるでしょう [*1]



2014/09/17追記


東京新聞』2014/09/06読者投稿に「敗戦を終戦」と題する投稿があった. 敗戦時に小学4年生だった投稿者が縁故疎開から戻り, 校長の訓示が「終戦」を使え, 「敗戦」を禁止したとの体験談. その理由が「日本には忠臣蔵があるから」だそうだ.


「敗戦」では日本が負けた, 負けた責任は天皇と軍隊と官僚と財閥にあるという話に進んで行くが, 「戦争が終わった」ならば, 誰も責任をとらなくてもよい, 勝手に戦争が終わったのだから…ということだろう. この言い換えにより責任をとることから免れるのはまずもって天皇である.


天皇の無責任」を先ず優先するのが「忠臣蔵がある国」の国民に課せられた「忠」なのである



*1:第1作『仁義なき闘い』は1947年から1949年, 第2作『仁義なき闘い/広島死闘篇』は1950年から1955年(実話では,モデルとなった山上光治の拳銃自殺は1948年), 第3作『仁義なき闘い/代理戦争』は1960年から1962年の設定【『仁義なき戦い公開40周年そのすべて』Mediax Mook,2013/08/30による】