2017-10-04から1日間の記事一覧

16.不幸なる人々の爲に(岩井小學校)

岩井町忍足登■は大震起るや5分を經過しない中に村内の慘状を見て自家に製造しありし菓子價格約百圓餘を直ちに小袋に分ち罹災者に配布し慰安に努めた 當時之を受けた人々は今に至るも忘れ得ぬ喜の一として語り合つている 同井上義昌,能重利器は震災後日尚淺き…

15.親切が第一(金谷小學校)

金谷村は鋸山を控へて安房郡に接して居りますので大震災の當時在京中の安房郡出身の歸省者は汽車不通の爲徒歩にて本村を通らなければならなくなつた 地震のために鋸山の遂道は崩れ落ちてしまつたので通行の人達は鋸山を越へなければならなかつた それが爲9月…

14.多数の教へ兒の危難を救ふ(山田つる)

當時私は小糸補習學校に奉職して裁縫科の受持でした 丁度9月1日は始業式だつたので式後いつもの様に生徒全體が大掃除をいたしました 10時頃すっかり終り朝からの風雨もおさまり心地よく御辨當を頂かうとしたとき突然の出來事だつたのです お箸を忘れた二三の…

13.青年團の活動(大澤生)

大正12年9月1日 余は郷里の波岡校に奉職して居た 此の日第二學期の始業式を終へ學期始めの會議も済んで一同晝食の箸を取らふとした一瞬 どどっと床板は揺らいで見る中に 屋根の瓦は落ち戸の倒るる音 硝子の破れる音物凄く生きたる心地も無つた あはただしく…

12.救護に狂奔(上三原小學校)

大正12年9月1日の大震災の直後安房聯合青年團長より應援頼むの召令に團員拾名は直に準備にかかり餘震頻々としておびへ恐るる妻子眷族を殘して握飯を背負ひ團長川上乾氏に引率されて激震地安房郡北條町へ向つた そして聯合團長の指令によつて倒潰家屋の整理木…

11.寝食を忘れて(大山村役場)

9月1日午後8時頃千葉縣農會技手伊藤正平北條税務署屬久我武雄の兩氏來着 稀有の大震災にて北條,館山,那古,船形等は全滅し倒潰せざるものは房州銀行(今 千葉合同銀行北條支店)及税務署の二棟のみにして死傷者の數知れず斯る惨状は少時も放擲[*1]し置くを許さ…