12.救護に狂奔(上三原小學校)

大正12年9月1日の大震災の直後安房聯合青年團長より應援頼むの召令に團員拾名は直に準備にかかり餘震頻々としておびへ恐るる妻子眷族を殘して握飯を背負ひ團長川上乾氏に引率されて激震地安房郡北條町へ向つた


そして聯合團長の指令によつて倒潰家屋の整理木材の運搬家具の片付け避難所の建設等に懸命に努めた 其の後又出動して日數に於て5日迄人員32名に達した 前安房郡三原尋常小學校長水野良太郎氏(當時安房南三原尋常小學校長)の居宅倒潰の厄に遭つたと聞き 9月8日團長川上乾氏は一行58名を引率して南三原村沼に應援に向つた 氏は數年間三原小學校長として兒童教育は勿論地方開發の爲努力せられた恩に酬ゆる好機として團員は勿論學區内婦女子迄加はつて甲斐甲斐しく倒潰家屋の整理を手傳つた


住宅倒潰して呆然たる折柄 思ひ掛けぬ舊任地學區民の應援には同氏は只々感激の涙を催された


斯くて日數は8日,11日,27日の3日延人員86名に達した 報恩感謝の念漸く薄らぎつつある今日誠に麗はしき美談である