14.多数の教へ兒の危難を救ふ(山田つる)

當時私は小糸補習學校に奉職して裁縫科の受持でした 丁度9月1日は始業式だつたので式後いつもの様に生徒全體が大掃除をいたしました 10時頃すっかり終り朝からの風雨もおさまり心地よく御辨當を頂かうとしたとき突然の出來事だつたのです


お箸を忘れた二三の生徒が小使室へ行く可く廊下へ出た其の時「あれ 地震だ 早く外へ」と云ふのを室内で私が聞きつけ地震の時あわててはならない やたらに外へ出ては却て危険だからと思ひ「みんな早く机の下へ」と申しました


廊下に居た子どもも大急ぎで室へ飛込みました 私もまさか潰れるとは考へないので一人椅子に腰を掛て様子を見ていましたが室内にあつた大鏡が落ちたのを見ると その瞬間「これは」と思ひ机の下へ入りました 入ると近くに居た豫科の生徒2名が「先生」と兩脇からかぢりついて來たので二人を抱いたまま小さくなつていると すぐまた揺れると思ふ間もなく潰されました 中の子は「先生先生」と云つて泣く 私も當時まだ年も若かったので共に泣きたいのをぢつと我慢して子ども達をなだめました 10分も經つたかと思ふ頃に頭上でみしみしと音をさせるものに氣付きどなたかと聞きますと或る一人の生徒が窓際から出て私を探して居たのです


「先生 出られます」との言葉に急に元氣つき思はず頭の上の天井板を力一杯押し退けて見ました 幸ひにして板は取れ 隙間から外が見えるので すぐ側の二人の子どもを出しつづいて自分も出ました


他の生徒はどうしたかと見れば大方は出て居りましたが材木の間から着物が見える これは大變と私は名前を呼びました 返事がありどこも痛めては居ないとのこと「動かないでね すぐ出してあげるから」と元氣をつけて私は血眼になつて人を探し求めました


屋根の上から見ていると一人の男の先生(それは石川徹先生です)を見つけ必死の聲を出して呼びました 先生もすぐ駆けつけて下されたので「あの子どもを出して下さい」と申しました すると先生は「ぢや二人でこの材木をさげてみませう」と材木を上げかけましたがとても力及ばず その内駆けつけた近所の方々が 鋸を以て其の生徒二人を出して下さいました


何等負傷も無く出て來た子どもを見たとき私は嬉しくて泣きました それから急いで子どもを調べました結果全部(たしか25,26名)の人たちがみな元氣で居るのを見 危険だからいろいろと注意を與へ家へ歸らせました


ほつとする間もなく私の頭は教室の火鉢へ走り もしや火事でも起しては申譯ないと校長先生に御相談して人夫の手を借りてその箇所を取りこはし出して頂きました 幸ひ火は消えて居りました ほんとうに天佑だつたと思ひます


大切な子どもをお預りして怪我をさせてはと思ふと後から思出しても涙なしには居られませんのです 全くお陰様だと神に祈りました