15.親切が第一(金谷小學校)

金谷村は鋸山を控へて安房郡に接して居りますので大震災の當時在京中の安房郡出身の歸省者は汽車不通の爲徒歩にて本村を通らなければならなくなつた 地震のために鋸山の遂道は崩れ落ちてしまつたので通行の人達は鋸山を越へなければならなかつた それが爲9月3日頃から20日頃迄毎夜70,80名位の泊り人があつて村では小學校を開放して泊めてやつた


此の時 本村の男女青年團員は村内有力家より白米の寄贈を仰ぎ炊出しを爲し握り飯を作り此れ等の人々を途中に待ち受け學校へ案内し給食其の他親切に世話をした 學校では土着の黒川教員が主としてこれ等の人々を世話してやつたが電氣はなし泊り人は大勢だし遠路徒歩にて疲れ切つているので其の世話は容易ではなかつた尾■な話だが中には廊下や土間等へ大小便をやらかした者もあつた まるで人間の住む家とは思はれなかつた 臭氣紛々として豚小屋の様な感じがした黒川教員は學校の方の責任と此れ等の人々の厄介なる世話の爲毎夜寝られなかつた それでも朝になれば小便と共に此れ等の不潔な所を掃除し晩の泊り人を待ち受けたのであつた