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たとえフォリソンが「不誠実」であるとしても、ヴィダル・ナケが「ガス室は存在した」という文が真であると彼を説得しえないだろうことには変わりない。この歴史家は同じような仕方で「いまだに反ドレフュス主義者がいる」と苦々しく確認している。アンリ大佐による書簡の偽造という事実は、実在性を立証する手続きとして可能なとことんのところまですでに立証されているが、この一件に関してさえも合意が得られないということがあるのである。このように、悪意や不誠実や盲信によって、事実が明らかにされ、正義が行われるのが妨げられることがある…いや、そうではない。あなたが悪意等々の名で呼ぶものは、論議の相手方が実在性の立証を目的としていないという事実、彼が認識文をつくり、妥当性を認定する際の規則を受け入れていないという事実、彼が説得を目的としていないという事実、この事実にあなたが与える名前なのである。もしフォリソンが、確信を得ること、すなわち一定の実在に関して合意を得ることを競うゲームとは別のジャンルの言説を「ゲーム」しているとすれば、この歴史家が彼を説得しようとしても無駄である。もしこの歴史家がこの道に固執し続けるなら、彼は自分を犠牲者の位置に置くことになるだろう。







□ 随時、追加して行く予定です