【27】p.33より

生き残った人たちの沈黙は、必ずしもフォリソンがそう信じ、あるいは信じるふりをしているようなガス室の非存在を利する証言ではない。それは、受け手の権限に反対して(われわれはフォリソンなどに報告すべきいわれはない)、証人自身の権限に反対して(命拾いしたわれわれにはそれを語る権限がない)、さらにはガス室を意味すべき言語の能力に反対して(表現不可能の不条理)なされる証言でもありうるのである。ガス室の存在を立証しようとするならば、四つの沈黙の否定を取り除かなければならない。ガス室は存在しなかったのではないか。いや、存在した…しかしそれが存在したとしても、そのことは言葉に表わされえないのではないか。いや、表わしうる。…しかしそれが言葉に表わされうるものだとしても、少なくともそれを言葉に表わす権限は誰にもなく、またそれを聞き届ける権限も誰にもないのではないか(それは伝達不可能ではなかろうか)…いや、その権限はある、と。