豊海射場

基地撤廃の火の手が最も強かったのは昨年[1954年]一方的な通告で継続使用となつたため同町を中心とする九十九里射場周辺の地元民の態度は一時非常に硬化,撤廃運動は活発化する傾向だったが,そのまま立ち消えになり,漁民たちは完全補償に動くようになった



補償のうち,海上は水面使用制限にもとづく漁業補償として1948年から現在まで合計7000万円支払われているが,昨年4月以降の分については,安全水域が縮小したため[*1],補償額は大幅に削られることになり,地元の申請額と調達庁予定額との間に相当な開きが生じている


陸上は東金-豊海間の他数本の道路が行政協定道路に指定され本年度分を含めて約1億円の改修が行われた. その他無人機による直接被害や小,中学校の破損もある程度補償済みだが演習が個々の民家に与えた被害についてはこれを運用する法律がないため全然補償されていない. 今回の免税運動もこうした事情によるものだが,見舞金を出すにしても被害程度を算定する基準がないため,漁民たちの要求が通るかどうか疑問とされている

*1:「安全水域」は演習中に立入禁止の水域を指す, 千葉県水産部『千葉県における漁業補償』では「危険水域」と呼んでおり【1953年5月1日以降, 危険水域の半径が[それまでの3万1千ヤード(15浬)から]2万2千ヤード(10.7浬)…と縮小】とある