池上祐子 信長の全国統一 評価はおかしい

【出典】『東京新聞』2013/7/28(日) 13面【インタビュー】あの人に迫る


【見出】あの人に迫る/池上祐子/歴史学者


【あなたに伝えたい】信長に抵抗する側にも抵抗するだけのちゃんとした論理があった[*1]


【リード】乱世に平和をもたらすため,全国統一に邁進した英雄. 歴史学者池上祐子さん(65)は近著『織田信長』(吉川弘文館)でそんな信長像を覆した. 世間で言われるような高い理想があったわけでなく,京都を押さえつつ自国拡大のために戦ったにすぎないと. しかも等身大の信長像には,安倍晋三首相との共通項もあるという. (勝間田秀樹)

*1:題辞「あの人に迫る」の下に囲みで「あなたに伝えたい」

池上さんが見る信長とはどんな人物でしょう

支配領域である分国を広げ,全国を分国として支配するための戦争に明け暮れた. その戦いは,武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません. 各地の地方権力を基本的には滅ぼし,絶対服従するものだけを編成していった. それを平和をもたらす統一のための戦争だったと特別に評価するのはおかしい. 関所廃止や楽市令など流通政策は信長の特徴です. でも農民をどう支配するか,武士全体をどうしていくかという全国区の政策は信長にはない. だから統一政権とは言えないと思う

あの著書への学会からの反応は

やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね. 教科書を書くような人,歴史学会の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と. でも若い人は「割りといいんじゃない」と言ってくれる


歴史学者って案外,権力者が好きなんです. 統一政権を打ち立てたことを評価する. 戦国時代は乱れた時代で,統一が正しいように言う. 戦国の世は確かに戦争が頻発し,安定しなかった. でも統一を実現する軍事力を持つ権力者こそが素晴らしい,という評価はおかしい

信長に抵抗した人はたくさんいました

たくさんいた. 戦国大名,一向一揆とか. なぜそれほど抵抗が大きかったのか. 室町幕府がうまくいかなくなって戦国大名が成立してくる. 各地に地域権力が生まれ,農村では村という共同体が成立していった. 信長は外から,それをどんどん壊そうとした. だから地域の人たちは強く抵抗した. 信長に抵抗する側にも,抵抗するだけの,ちゃんとした論理があった. そう考えないといけない. 「抵抗した側には歴史の先を見る目がなかった」と評価を下す人が結構います. 支配者は歴史の進むべき方向が見えていたと. それは違うと思う


信長には皆殺しにしないとまた抵抗が起きるという不安があった. 秀吉も最初,信長のような明確な勝利は収められなかった. それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配の仕方を考えた. だから島津,毛利,大友にしろ秀吉の下で生き残った. 天下統一も信長が死んでから8年と早かった

支配する側,される側. 双方を見るべきだというのが池上さんの持論です

戦後の歴史学は抵抗した側,民衆をきちんと見ようとしました. 今は歴史学者が全体的に保守化したんですかね. 「権力者は民衆の支持を受けたから支配できたのだ」と,抵抗した側を切り捨てるところがある. 特に近年はそういう傾向が強まったように思える. 研究が細分化し,大きくものを見る目が弱まったのかもしれません. 私みたいに戦後間もなく生まれ,まだ貧しかった社会を生きた世代と,何となく豊かな社会に生まれ育った世代の差なのかもしれません.

「歴女」ブームをどう見ていますか

歴女も結構調べていて色んなところに足を運んでいる. それはいい. でも割りと簡単に,素敵で格好いい武将のイメージをつくっちゃいますよね. 歴史学者としては「ちょっと違うんじゃないの」と言わなくちゃいけない


戦国武将に憧れるのに危うさは感じるから. 本当にその武将が考えたことや実際にとった行動と,随分違うイメージを抱いてしまいかねない. 未来が見え,強いリーダーシップで民衆を引っ張っていったとか. そんなヒーローみたいな人間って,実際はいないんじゃないないでしょうか.


家康だって信長,秀吉の二人を見ながら政策を作った. 試行錯誤するのが生身の人間です. ただのイメージは負の面が大きい. リーダーシップがありそうな人に無批判に付いていってしまうとか. 自分自身で物事を決めることがおろそかになりかねない