17.宿泊や炊出や萬事の世話(金谷村役場)

災禍中の事とて美事美談は所々に起り得る事は人類生存上當然過ぎる程當然な事であるが當金谷村は房総の分岐點でこの地に屹立せる鋸山は東都人士に石材の豊富を以て知られている 其の山腹を一貫した隧道は車窓の人としても6分餘も費やす大隧道である 汽車は不通ではあつたが辛うじて歩行の出来得た事は房州方面の避難者の■道として不幸中の幸と今更の様に話題に擧げられている 在京の安房郡出身者は疲れた足を引きずり乍ら本村に辿り着くと元気百倍とでも言ふか既に我家に歸つた心地安堵の色が湧いた 本村では此の避難民のために小學校を開放宿泊所に充て男女青年團軍人分會の炊出しと共に■々とした心と長途の旅の疲れを慰めるに充分であつたことと思ふ 避難者宿泊は毎晩人を下つた事は無かつた