18.京濱への救援(小湊町役場)

「東京横濱等の震災地に住居する本村出身者及出稼者 奉公人等の生死をたしかむる爲捜査隊出發するにより同地に關係者ある者は直に其の住所氏名を申出づる事」通知せしに捜査人180名を算するに至れり 震動未だ止まざるを以て村長助役は野外にて之が處理を爲したり折から何時海■襲來するやも知れず船を出すは危瞼なりと云ふ者ありたるも村長は決行することとなり總噸數12噸の發動船若宮丸,田中丸を借受け■に決死的乗組員を募集し26名を決定し米15俵其の他副食物,飲料水を積込4日午後3時小湊を出帆せしめたり


船は5日午前10時東京靈岸島に到着 1班を4名とし5班を組織し乗組員は辯當を腰にして「房州小湊」と大書きせる旗を先頭に「小湊救護團」と書きたる輪袈裟をかけ丸の内上野品川其の他の避難所を訪問し