震災の思出 (成東尋常高等小學校 大木武治)

「もう十分大掃除も終つた 二階へ上がらう」大正12年9月1日の午前 時計の針が12時に10分前を指すと室長の言はれるままに二階へ上がつた 我々室員は窓にもたれながら外の庭や舎監室を覗いて今か今かとお晝の鐘を待つていた


窓の外は室・分擔の庭で直ぐ前が舎監室になつていた 我々はその庭の植込の間から舎監室を見ていた 舎監の先生の室を出ると同時に我々も廊下に出て食堂で敬禮して食事をするのが我々の日課の一つであつた


「そらもう5分だ」「もう小使が鐘を手にしているかも知れない」「一,二,三,四,そら鐘」


日によつては一,二で鳴ったり 十まで五,六回繰りかへして鳴ったりするのだが 此の日はいくら繰り返しても鳴らなかつた 時計を見るとまだ零時には3分ばかり時間があつた


「ぐらぐらっ」と一つ地震 いまに止むだらう誰の気持も同じである また「ぐらぐらっ」益々大きくなる もう猶豫は出来ない そつちでもこつちでもガタンピシャン2階の窓から飛び降りるもの 階段から振り落とされるもの 柱に衝突するもの 悲鳴をあげ乍ら運動場まで駆け出した まだ目は廻つている


やがて静まつたと思ひほつとして時計を見ると零時20分過ぎ 晝の合圖は何處へやら でも腹がへつては戰へない 地震の恐しさにも食堂に流れる様に入込んで箸をとる また「みしみしぐらぐらっ」我々はまた駈け出した 中にはお鉢を抱へ出すものもある 終に晝飯は運動場ですました


地震はいくら經っても止まない 軍隊の演習のやうに地響と共に續いて起る 陽の光はたいしゃ色に變り色々の風説は起りこれが世界の終りであるかとも思はれた


500年の人の力も大自然の僅な揺るぎに砂漠と化してしまつたのである 之を想ふに水はなし電氣は消え 瓦斯は来ず 電車は動かず 汽車は運轉せず 食物はないし 衣類は焼かれ 家財は失い 職に見捨てられて學ぶに處はなし 頼るにも人もなし住むに家はなく その當時10日ばかりは全くの混沌たる状況であつた 富めるものも貧しきものも 玄米の握り飯の一つと梅干とに舌鼓を打つたのである


生死も判らずに離散した骨肉を 東へ西へと五里霧中にさがす その痛ましいこと 大小の負傷者の救護に夜警に 等々悽愴そのものであつた

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最大の教訓・最大の學問 それは何か 私の得た貴い教訓は深刻其のものであつた 森嚴そのものであつた 誰かこの光景を見て襟を正さないで居られやう無言のお經はそこに唱へられていた 九段の坂上に立つた一瞬間 誰か此の偉大を感じないものがあつたらうか 焦土と化した銀座 死骸累々とした被服廠を見たときに人間以上を誰も感じたであらう