特別授業

この授業では 生徒たちが調べ学習の発表をした後 平形知恵子さん(元高校教師・千葉県歴史教育者協議会)に 朝鮮人虐殺の事実について船橋習志野・八千代等地元でお調べになったお話をしていただきました


日時: 2016年7月15日(1時間)


参加者: 初級部6年生3名 中級部3年生13名 教員2名


(1) 調べ学習の発表


関東大震災の時 何が起こったのか 生徒たちが調べた事実を発表しました


「震災の被害状況について」(キム・チェスン)


「時代背景について」「3・1独立運動と日本の労働運動」(リム・キョンア リャン・スミン)


「流言蜚語と朝鮮人虐殺について」(キム・テソン リ・カヨン)


さらに生徒たちは地震後に流されたデマ・戒厳令と軍隊・自警団のこと・虐殺が起こった場所などについて発表しました


リュウ「6年生のとき初めてこのことを知りました 地震だけでも怖かったのに 命令されて殺すことの辛さを想像しました 殺すことは辛いはずだから そう思いながらウェブで調べていたら《9月1日にそんなことはなかった》という言葉を見つけました 驚きました でも謝罪の言葉もありました」


リ「恐ろしすぎてたたでさえ苦しいときに あり得ないことが起こって … 悔しくてたまらない気持ちが新たにこみ上げてきました」


チャン「僕の曾祖母は日本人に助けられ九死に一生を得ました 助けた人がいなかったら僕は此処に存在しません」


キム「辛かったことだろう インターネットで《デマはデマじゃない》という人がいて 事実はなに!?と思いました これから二度と起こさない社会はどうしたらつくれるだろうかって」


リ「数字に実感がない 行方不明者が多すぎる《十円五十錢》が言えなかった人 耳が悪く聞き取れなかった人 中国人や土地勘がなかった日本人まで殺した人の人生も苦しかったはず 日本の学校の同じ年代の人にも知っていてほしいです」


リ「私は自警団の中にいた人すべてが悪い人だと決めつけようとしましたが そうではないようです 何も知らないで決めつけるわけにはいかないから きちんと知ることが大事だとわかったからです 二度と繰り返さないために出来ることを探さなくてはいけません いしめがある時代だけど仲良くなることが大事 実際に会ってみると仲良くなれる 互いに信じられるのだと思います」


(2) 平形知恵子さんのお話


子供たちの発表内容に即して 平形さんに映像を交えながら話していただきました


「調査のきっかけは船橋習志野・八千代で「普通の人」が虐殺者になってしまったことです 隠され続けていたことを吐き出すきっかけになったのは 中学生の聞き取り調査でした 人の命の尊さを考える余裕もないほど追い詰められていた人々は 植民地出身だったから蔑まれていました


軍の出動と自警団の組織などで責任が分散されました でも 心ある人は勇気を持って戦えたはずです」


(3)生徒たちの反応


「何故 調べ続けたのですか」


「どんな資料や本を御覧になりましたか」


「何が辛かったですか」


「日本の学校の教科書ではどう教えていますか」


生徒たちは平形さんにこう質問した後 お話を聞いて感じたことをその場で次のように述べた


「お話を聞いてみると 初めてこの問題に触れた時の衝撃が薄れている自分がいることに気がつきました 日がたつにつれて怒りが薄れ終わりになってしまうのか 気を引き締めて胸に深く刻み僕たちが忘れてしまったらおしまいだ ぜったいに忘れてはいけないのだと思いました」(中3・カン)


(4) 6年生の感想文より


「デマがどんなに怖いものかを思い知りました デマを流した者が恨めしくてなりません あり得ないのです 軍隊や警察に命令されたら本当に逆らえないのだろうか もし自分が殺されそうになったらどう思うだろうか そうやって殺されたことを知った家族はどう思うでしょう 人間を信じられなくなるでしょうだからと一生恨むより《仕方なかったのだ》と許す方法もあるかも知れません 人を恨みながら生きるのは辛いと思うからです それでも忘れることは出来ないのです 僕は平形さんが何故こんな辛い朝鮮人虐殺について調べ続けて来られたのか疑問でした 平形さんは朝鮮人を助けた話を調べていて助けられなかった人について調べられたと聞きましたが 自分ならそこで耳をふさいでしまいたくなると思います でも平形さんは生徒さんたちと一緒に真実を明らかにするためにずっと調べ続けてくれたんですね 僕が一番心に染みたのは何十年もかけて虐殺された人たちのために慰霊碑を作ろうとした話でした 今では慰霊祭にその事件に直接関わった人の孫にあたる人も参加されているという話からそれは《伝えるため》だとわかりました 辛い話だけど忘れてしまうのではなくて二度と起こらないように協力していくのが大切なのですね 僕はこのぜったいに忘れてはいけない話を次の世代に必ず伝えていきます」