BRECHT/真実を書くさいの五つの困難(2/5)

【3】真実を武器として使いこなせる技術

真実を語るのは, それから行動のための結論が生み出されるためでなければならない. それからはいかなる結論もひきだせないか, ひきだせてもまちがった結論でしかない真実の例として, 二,三の国を野蛮にもとづくいまわしい状態が支配している, という世間にひろがっている見解が, ぼくらの役にたつはずである. この見解によれば, ファシズム自然の暴力でもって,二三の国に闖入した野蛮の波である


この見解によれば, ファシズムは資本主義と社会主義にならぶ(そしてそれらをこえる)第三のあたらしい力である. 社会主義の運動のみならず資本主義もまた, この見解によれば, ファシズムが出現しなかったら, さらに存続しえたであろうなどということになる. これはもちろんファシズム的主張であり, ファシズムへの降伏である. ファシズムは資本主義が足を踏み入れた歴史的一段階であり, そのかぎりでは新しいものであると同時に, 古いものでもある. 資本主義がファシズム諸国家で存在するばあい, それはもはやファシズムとしてのみ存在し, ファシズムはただ資本主義としてのみ, もっともむき出しの, もっとも悪辣な, もっとも強圧的な, もっとも欺瞞的な資本主義としてのみ克服しうるものである


ところで, ファシズムに反対すると言いながら, もしファシズムを生み出す資本主義になんら反対しようとしない人がいるとしたら, その人はいったいどのようにしてファシズムについての真実を語ろうとするのだろうか. このばあい, かれの言う真実は,じっさいにはどのような結果になるのだろうか


資本主義に反対しないでファシズムに反対する人たち, 野蛮から生じる野蛮について嘆く人たちは, ちょうど子牛の分け前は食べたいが, 子牛は殺してはいけないと言う連中に似ている. 子牛は食べたいのだが, 子牛の血を見るのはいやだというわけだ. 肉をテーブルに運ぶ前に, 睹殺者が手を洗ってくれれば, それで満足できるのだ. かれらは野蛮を生み出す所有関係には反対せず, ただ野蛮に反対するだけである. かれらは野蛮にたいして異議を唱えるが, おなじような所有関係が支配している国でそうしているのである. ただそこでは, 肉をテーブルに運ぶ前に, いまのところまだ睹殺者が手を洗うのだ


野蛮な処置にたいする声高な非難は, それを聞く人たちが, 自分の国ではそのような処置が問題になることはない, と考えられるしばらくのあいだは, 効き目があるかもしれない. ある国々は, ほかの国ほどには暴力的でない手段を用いて, まだ所有関係を維持することができる. これらの国では, まだ民主主義が役にたっているが, 他の国々で役だつものといえば, 暴力に, つまり生産手段の私有の保証にかかわらずをえなくなる. 工場, 炭坑, 土地の独占は, いたるところで野蛮な状態を作りだしている. しかしこれらは比較的目だたない. 野蛮が目立つようになるのは, 独占があからさまな暴力によってのみ, かろうじて支えられるようになるときである


野蛮な独占のために, 法治国家の形式的保証や, 芸術, 哲学, 文学などのたのしみまであきらめるのはいまのところまだ必要でない二, 三の国民は, 客人たちがこれらのたのしみをあきらめた自分の祖国を非難するのを, とくによろこんで聞く. 予期される戦争がはじまれば, それはかれらの利益になることだからである. たとえば「ドイツこそこの時代におけるまぎれもない悪の故郷であり, 地獄の出店, 反キリスト教徒の溜り場であるから」ドイツにたいしては仮借のない戦いをすべし, と声高に要求する人々は, 真実を認識していると言えるだろうか. こういった連中は, むしろおろかで救いようのない, 有害な人間であるというべきだろう. なぜなら, このようなおしゃべりからひきだされる結論は, こんな国は絶滅すべきだ, ということになるからだ. 国全体その住民もろともにである. それというのも, 有毒ガスは人を殺すばあい, 罪あるものだけを選びはしないからだ.


真実を知らない軽率な人間は, 一般的で, 高級で, 不正確なもの言いをする. ドイツ人〈一般〉について馬鹿なことを言い, 悪〈一般〉について嘆くが, それを聞くほうは, それからどうしたらよいかわからないのである. ドイツ人でなくなる決心をせよというのだろうか. 話の聞き手が善良であれば, 地獄はなくなるというのだろうか. 野蛮から生じる野蛮についてのおしゃべりも, この種のものである … これらすべてのことは, まったく一般的に言われるのであって, 行動に役立つ結論をうるためにいわれるのではない. つまりだれにもなにも言わなかったとおなじことになるのだ


このような表現は, 一連の原因のごくわずかな部分だけしか示さず, 動く一定の力を制御不可能な力として提出する, このような表現は, 災害をもたらす力を秘めている多くの暗闇を含んでいる. それに少し光をあてれば, 人間が災害の張本人として姿をあらわす! なぜなら, ぼくらは, 人間の運命は人間である時代に生きているからだ.


ファシズムは, ほかならぬ人間の〈本性〉によって理解されうる自然の災害などではない.


しかし, 自然の災害においてさえ, 人間にふさわしい表現の方法がある. 自然の災害は, 人間の闘争力に訴えるものがあるからである


横浜を破壊した大地震のあとで, 多くのアメリカの雑誌に, 焼野原を示す写真が見られた. 写真の下には「steel stood」(鋼鉄は残った)と書いてあった. じっさい最初ちょっと見ただけでは廃墟しか見えなかった人も, その説明のおかげで写真への注意を促され, その結果, 二,三の高い建物が立ったままでいることに気づいたのである. 地震について与えられる表現のなかで, 無類の重要さを持つものは, 地滑り, 衝突の力, 発生する熱などを考慮し, 地震によく耐える構造を得ようとする建築技師たちのそれである


けっして自然の災害などではないが, 大きな災害であることには違いないファシズムと戦争を記述しようとするものは, 実際に役立つ真実を作り出さねばならない. ファシズムと戦争こそ, 自己の生産手段を持たない労働者の巨大な人間集団にたいして, これらの手段の所有者たちが準備する災害であることを示さねばならない


いまわしい状態についての真実を, 効果的に書こうとするものは, その状態の原因が避けうるものであると認識できるように書かねばならない. 原因が避けうるものであると認識されれば, いまわしい状態も克服しうる



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【4】その手に渡れば真実が有効に働く人々を選び出す判断力



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