慰安婦の自由について


それから慰安所における強制ということで少し補足させていただきますと戦前の日本の国内で公娼制が確かにあったわけです. しかし公娼制の下でも「拒否する自由」「外出の自由」「廃業の自由」- 自分はこの稼業が嫌になったから辞める ことは権利として認められていたわけです. これはたてまえ上の権利かもしれませんけれども,認められていたことは非常に重要なわけですが,実は慰安所ではこういう自由がなかったということであります


資料の 4 を見ていただきたいと思います. 3枚目です. ちょっと字が小さくて恐縮ですけれども,比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所でつくりました慰安所規定であります[*1]. 第一慰安所亜細亜会館というのが慰安所ですが,そこでどういうことがうたわれているか「慰安所の経営者は左記事項を厳守すべし」と書かれております. 五番目として「慰安婦の外出を厳重取締」と書かれているわけですね


それから第六項目の五番目として「比島政監部ビサヤ支部イロイロ出張所の許可なくして慰安婦の連出しは堅く禁ず」とあり,慰安婦を連れ出す場合は許可制であったと分かります


七項目目では「慰安婦の散歩は毎日午前八時より十時までとし其の他にありては比島政監部ビサヤ支部イロイロ出張所長の許可を受くべし」と書かれております


左側に地図がありますが「散歩区域」が,この公園を囲む一区画に制限され,外出の自由もなかったと言えると思います


資料の 5 も同様でありまして「慰安婦の外出に関しては連隊長の許可を受くべし」(独立山砲兵第三連隊の規定)とうたわれております


これが第一次資料で言っていることで,そういう自由はなかったと言わざるを得ないと思います


次に女性たちの年齢ですけれど,日本からも一定程度慰安婦が連れられていっているわけですが,これは警察の規制もありまして,すべて21歳以上でなければならなかったわけです


それから現に売春婦でなければいけないという制限があったわけですけれど,朝鮮や台湾ではそういう制限は一切なかった. したがって植民地からは21歳未満の女性あるいは売春婦でない女性が非常にたくさん連れていかれたということになり,これは資料によって十分裏付けられると思います


次にあまり時間がありませんが徴募時の強制はどうであったのか. 朝鮮半島や台湾では「官憲による奴隷狩りのような連行があった」があったかどうかは資料では確認できないのが現状であります. 私どもはこういう「官憲による奴隷狩りのような連行があった」ということはこれまでずっと言ってきておりません


続く⇒id:dempax:00000531 [*2]



*1:資料4: 吉見善明『従軍慰安婦資料集』大月書店,1192/11/27 資料70,p.324
ISBN:4272520253

*2:入力文字数の制限が厳しいため, 冗長な文章を文意を変えない範囲で,はしょった箇所多数あり[例] 〜というふうに思います ⇒ 〜と思います 等