To Do & 参考図書
宿題:
*西口『廓』記述との対照確認(東邦出版社版にはまえがきもあとがきもないため,フィクションなのかノンフィクションなのか書かれてはいない. 全集版も調べる必要あり)
*トラック島の「慰安婦」「始末」に関する他の証言・記述を捜す
トラック島関連図書(近所の図書館の検索結果,利用できそうな本など,とりあえず『完本・太平洋戦争 下』=金子兜太「孤独の島・トラック島に生きて」を所収=と西口克己『廓』,窪田精『トラック島日誌』の3冊を借りてきた).
- 創価学会青年部反戦出版委員会『飢えと炎の島-トラック島 長野県出征兵士の記録【戦争を知らない世代へ 56 長野編】』(第三文明社 1979)(輸送船への攻撃,空襲,飢えに関する手記が繰り返される. ざっと読んだ限りでは「慰安婦」「慰安所」は出てこない)
- 窪田精『トラック島日誌』(光和堂 1983/08/25) isbn:4875380623 (囚人部隊のひとりであった著者の自伝的小説,囚人部隊だと慰安所と関係ないかと読み始めたら,冒頭,輸送船の中で慰安婦たちが登場-ほかにも軍の物資を横流し「慰安婦」とやり取りする場面など-きちんと読む必要ありそう)
- 金子 兜太「孤独の島・トラック島に生きて」(初出:『文藝春秋』1969/1月号 原題:「孤独の島・沈黙の戦記」)『完本・太平洋戦争 下』p.22-35(文藝春秋社 1991) isbn:4163459308 施設部工員専用の慰安所 南国寮がでてくる(p.26,27). またp.30に1944年≪五月半ば頃だったか,ラバウルから潜水艦で慰安婦が送られてきた. 内地に引揚げる途中の立寄りというふれこみだったが,到着すると直ぐ商売をはじめたところをみると,はじめから,女子のいなくなったトラック島に潤いを与えるのが目的だったようだ≫[引用者注:"ふれこみ"と"潤い"に傍点強調/次に引用する山田盟子によれば1944年2月に「壕内の慰安婦がまとめ殺しにあった」その後5月にも「慰安婦が送られてきた」]の記述あり.
- 山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争 秘められた女たちの戦記』(光人社 1991/09/29) isbn:4769805772 おび≪陸軍は慰安婦,海軍は特要員-存在も,生死も,闇のなかに閉ざされたままの女たちを追いつづけ,現地取材を重ねた執念の紙碑!/その数20万/慰安婦といわれた幻の女たち≫,終章:ある慰安婦の叫び では「嗚呼従軍慰安婦」の碑が建てられたときに会いに行ってのやり取りが次のように書かれている. 西口克己『廓』より詳しい部分があるので以下に引用しておく.
「あなたが碑を建てて下さってありがとう. 私もおまいりさせていただきました. ひょっとしてあなたはパラオの前にいたトラック島で,昭和19年2月17日,18日の激しい空爆後,ある壕内の慰安婦がまとめ殺しにあった事実を知っていたのですか」
「そ,そのこと……ほんとうですか」せわしく空を裂く眼づかいで,彼女は問いかけた.
「現地司令部から,殺しの命令を受けたのはS少尉です. 二人の兵に女たちは娼婦なのだと,それに島の玉砕に女たちは足手まといになるし,上陸する米軍に知られては恥だとか,そのような考えを示したようでした. 殺された女は関西の慰安婦です. 少尉たちの機銃で死んだ女たちは,申しあわせたように,カミソリを握っていたようです」
海軍の南交社と関西八遊郭で組織された三立会とで組まれた女たちは,平陽丸でトラック島に送られたのである. 私は西口克己の『廓』で描かれた慰安婦を語った. 彼女は急に身をよじった. その暗い過去を語る細いひからびた手が,拳になって空におどった.
「あたし!兵隊は女を殺すと思ったわ!」
唇をわなつかせて彼女は叫んだのだ. 大声をききつけたシスターは,あわてて彼女を乗せた手押し車にとびつくなり,私に面会終了をつげた.
彼女の叫びは信仰で得た去私の座を,かなぐり捨てた怨言であった. その激しい叫びは彼女の信ずるカミなるゆるしとは違っていた. 彼女のほとばしらせた怨言に,私のなかで燃えだすものがあった.
やはり兵を相手の慰安婦渡世は,虐げられた苦界であるのを,彼女は知っているのだと思った. なみの慰安婦は軍権者にとって,獣なみの存在でしかなかったこともである.【出典:山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争 秘められた女たちの戦記』p.284-285[一部,改行を省略した]】
- 高崎隆治『教科書に書かれなかった戦争17 100冊が語る「慰安所」男のホンネ』(梨の木舎 1994 版元品切) isbn:4816694056 (辻政信『ガダルカナル』河出書房1967/09からの引用≪海軍から差し出された迎えの車で,艦隊司令部に行く途中,瀟酒な宿舎風の建物が,路傍にいく棟か並んでいる. 多分兵舎であろうか. それにしては門の看板に,南国寮と書かれてある. しかし,それは兵舎でもなく寮でもなかった. アクドク化粧した慰安婦が昼間から嬌声をあげている. ■[引用者注:高崎隆治解説]1942年7月23日,トラック島≫