娼妓と慰安婦の違い

だいぶ時間がなくなってまいりましたが,次に公娼は自由稼業であったのかということも一つ申し上げたいと思います, 資料の 8 を見ていただきたいと思います


これは『福岡県警察史』でありまして福岡県警察本部が戦後につくりました公娼制度の説明であります. 県警本部の見解と言ってもいいと思いますが傍線を引いたところを見ていただきたいと思います


最初に「現実に娼妓は前貸金で縛られていて全く自由はなく籠の鳥といわれていた」と書かれています


次の四角で囲んだ部分では「娼妓となるには娼妓自ら警察署に出頭して名簿登録の申請を本人自身でしなければならず代人による申請は認められなかった. これは本人の意思を確かめるためであった. 申請書を受理した警察署では,本人から詳細に事情を聞き,身許調査をして貧困其の他止むを得ない者だけを登録した. 登録に対する警察の態度は消極的であった」と書かれておりますので既に昭和の時代には警察は公娼制度について消極的であったと分かります


それから廃業の自由についてあとのほうで書かれておりますが「娼妓は廃業の自由を有していたが,現実には業者から前借金をしているため,事実上拘束を受けて娼妓稼業から足を洗うことが出来ず借金が借金を生み生涯苦界から抜けられなかったという. だが,警察では前借金の有無にかかわらず廃業を受け付けていた. 前借金のような人の自由を拘束する契約は民法第90条によって公序良俗に反するもので無効とされていた」と書かれているわけです


廃業の自由は一応認められているが,実際にはそれがうまく機能しなかった. したがって,戦前の公娼制も事実上の性奴隷制度と言わざるを得ないと私は思います


では,慰安所のほうはどうかですが,廃業の自由が認められていないので,これは「事実上」がとれまして,文字通りの性奴隷制度と言わざるを得ないのではないでしょうか


このような状況でありましたために,当時,戦前,廃娼を実施する県は10県以上に達します. 廃娼を決議した県も10県以上に達しまして両方合わせると30県近くで廃娼を実施するか,廃娼決議をしているという状況であったということです


つまり,それは廃止に向かっていたということです. しかし戦争が始まり,軍が軍専用の慰安所をそういう流れに逆行する形でつくっていったということになるかと思います