で,元記事は と捜したら, 思考錯誤掲示板ではないか



思考錯誤掲示板 K-K 2004/08/23 22:14:49
Re: >なぜ信憑性があると考えるかというと、志...
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/9/flcqrf/gsoqrf.html

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また、この志々目証言中の野田少尉の言葉とまったく同じような光景が、火野葦平の手紙記載されています。以下、ゆうさんのHPの記述を提示しておきます。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/bunkajin.html#hino

---- 引用 ----

昭和十二年十二月十五日、南京にて

それから、戸口の方へ廻ると、中でがやがや声がして居ます。戸を破らうとしたが、頑丈で破れない。コンクリイトの厚さは二尺近くもあります。見ると、扉の横から電話線が通じてある、これは相当な奴が居ると思つたです。戸口を銃剣でつついて、「ライライ」とどなりました。支那語は知らんし、来い来い、といふ言葉で、出て来いといふ意味を云ふ外なかつたのです。

ライライと何度もどなつてゐると、中の奴が、戸口の方へ来る様子です。出がけに打たれてもばからしいと思つてゐると、戸が内側からあいて、若い支那兵の顔が見え、向ふから銃をさし出しました。

(中略)

つないで来た支那の兵隊を、みんなは、はがゆさうに、貴様たちのために戦友がやられた、こんちくしよう、はがいい、とか何とか云ひながら、蹴つたり、ぶつたりする、誰かが、いきなり銃剣で、つき通した、八人ほど見る間についた。支那兵は非常にあきらめのよいのには、おどろきます。たたかれても、うんともうん(ママ)とも云ひません。つかれても、何にも叫び声も立てずにたほれます。
(「国文学」2000年11月号 花田俊典「新資料 火野葦平の手紙」より)

---- 終わり ----

※『南京事件 小さな資料集』より
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/index.html

■ 以上のように、「「ニーライライ」と言われたらノコノコ出ていく」ことや、「おとなしく並んでスパスパ斬られていく」ことは、証言としての矛盾とはいえません。具体的にな事例は以上のとおりであり、これで「おむすび村正」さんにも理解していただけるものかと期待しております。

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思考錯誤掲示板 おむすび村正 2004/08/30 04:39:46
Re: 矛盾点がないと言うより、他の証言資料と接...
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/9/flcqrf/btiqrf.html#btiqrf

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>■以上のように、「「ニーライライ」と言われたらノコノコ出ていく」ことや、
>「おとなしく並んでスパスパ斬られていく」ことは、証言としての矛盾とはいえません。
>具体的にな事例は以上のとおりであり、これで「おむすび村正」さんにも理解して
>いただけるものかと期待しております。

引用を読む限り、全然状況が違うけど?
潜伏している敵兵に対し「ライライ」と中国語で呼びかけ不用意な行動を誘う戦術的行為と
包囲している敵に対し「ニーライライ」と呼びかける行為、全然違いますね。
繋いできた支那兵と書いてあることは縛られていることがわかるが、
志々目証言では言及していませんね。

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思考錯誤掲示板 K-K 2004/09/05 21:32:22
Re: >野田少尉の語る”百人斬り”の実態が志々...

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>>■以上のように、「「ニーライライ」と言われたらノコノコ出ていく」ことや、
>>「おとなしく並んでスパスパ斬られていく」ことは、証言としての矛盾とはいえません。
>>具体的にな事例は以上のとおりであり、これで「おむすび村正」さんにも理解して
>>いただけるものかと期待しております。

>引用を読む限り、全然状況が違うけど?
>潜伏している敵兵に対し「ライライ」と中国語で呼びかけ不用意な行動を誘う戦術的行為と
>包囲している敵に対し「ニーライライ」と呼びかける行為、全然違いますね。
>繋いできた支那兵と書いてあることは縛られていることがわかるが、
>志々目証言では言及していませんね。

「潜伏している敵」に対する呼びかけと、「包囲している敵」に対する呼びかけが違うとうことですね?

志々目証言における野田少尉の証言では次の様になっています。

---- 引用 ----

占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……

---- 終わり ----

「占領した敵の塹壕」ということですから、すでに敵を駆逐し、その塹壕周辺を支配下においていることを意味しますので、掃討戦途中の塹壕ということになると思われます。

この場合、中国兵は負けていることを自覚しており、逃げ場をうしなっている状況で、その為に塹壕に逃げ込んでいることになります。そして、「ライライ」つまり「来い来い」と呼ばれているのを投降の呼びかけと解し、「ぞろぞろと出てこちらへやって」来たのだと読むことができます。

一方、火野氏の手紙は次の様に書かれています。

---- 引用 ----

昭和十二年十二月十五日、南京にて

それから、戸口の方へ廻ると、中でがやがや声がして居ます。戸を破らうとしたが、頑丈で破れない。コンクリイトの厚さは二尺近くもあります。見ると、扉の横から電話線が通じてある、これは相当な奴が居ると思つたです。戸口を銃剣でつついて、「ライライ」とどなりました。支那語は知らんし、来い来い、といふ言葉で、出て来いといふ意味を云ふ外なかつたのです。

ライライと何度もどなつてゐると、中の奴が、戸口の方へ来る様子です。出がけに打たれてもばからしいと思つてゐると、戸が内側からあいて、若い支那兵の顔が見え、向ふから銃をさし出しました。

---- 終わり ----

時期は、南京陥落直後の掃討戦のようです。逃げ遅れた中国兵が、トーチカか何かに逃げ込んでいたのを発見し、その中国兵に対して「ライライ」と呼びかけ、投降を促してることがわかります。


この2つの証言で共通するのは、すでに日本軍の実効支配下にある状況で、投降を呼びかけるものであるということです。

「おむすび村正」さんの主張では、

志々目証言=潜伏している敵兵に対し「ライライ」と中国語で呼びかけ不用意な行動を誘う戦術的行為

火野書簡=包囲している敵に対し「ニーライライ」と呼びかける行為

と表現していますが、両記述は共に、包囲された状況(日本軍の実効支配下)において、塹壕・トーチカに逃げ隠れている敵兵に対して、降伏を呼びかけるための「ライライ」と呼びかけていることが解ります。

両記述を「全然違いますね」と読むことは無理があるようです。


なお、私は、志々目証言と同じ場面を火野書簡が記していると主張するわけではありませんので、「繋がれている」ということは関係がありません。繋がれていなくても、両記述の中国兵が、日本軍の支配下にあることは明白です。

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≪いわゆる百人斬り競争, いわゆる志々目証言に関する一論考≫作者 御託宣を 引用再掲

主義主張は各人よって立つ立ち位置があるにしても、他者に向けた批判の矢は同一の 基準で自らにも飛んでくると覚悟するべきではないだろうか【コラム4 細かなこと1 結論部分 http://www.k4.dion.ne.jp/~nouveau/column4.html


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