『Rape of Nanking』の使われ方の歴史, とまではいかなくとも 過去の用例を調べる

かわもと文庫 http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/index.htm
世相百断 http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sesou00.htm
日本人の戦後責任有事法制 http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sesou38.htm

国家としても個人としても、日本人が「あの戦争」を清算してこなかった結果、日本人の「あの戦争」に対する向かい方はどうなったか。

『日本人の戦争観』は、「対外的には必要最小限度の戦争責任を認めた上で、国内的には戦争責任問題を完全に棚上げする」というダブルスタンダードが形成されたという。80年代に入ってから、このダブルスタンダードは大きく動揺してきたが、現在もあいかわらず継続されていることは、たびたび中国や韓国の怒りを買う政府要人の妄言や教科書問題、総理大臣の靖国神社参拝などの対応で明らかであろう。

このため、「戦後の国際紛争に際しても、日本が日米安保条約の下での対米協力によって他国に対する加害者の立場に立たされているという冷厳な事実は意識の外に追いやられ」る結果を生んだ。それはかつてのベトナム戦争で日本がアメリカのベトナム侵略の兵站基地になったことを思い出すまでもなく、ついこのあいだのアフガン空爆に際しての日本政府の対応を見ればよく理解できることであろう。

こうした日本と日本人の「あの戦争」の清算の状況、というよりも未清算の状況と、戦前・戦中の価値観、世界観を引きずったままの中で、いま性急に進められつつある有事法制が制定されたらどうなるか。中国・韓国をはじめとするアジアの国々の不信感と警戒感を高め、周辺諸国の軍備増強を進め、結果として武力紛争の可能性を高めるだけではないか。

「国を守る」は、戦前のファシスト政府も声高に叫びつづけていた。しかし「国を守る」とはいったいどういうことで、「国を守る」ことと「暮らしを守る」ことをどうつなげ、近隣諸国との相互信頼をどう醸成していくかに意を払わずに、いたずらに性急な「有事体制」の構築を進めれば、「国を守る」はやがて暮らしを破壊する結果を招くかもしれない。すくなくともわれわれが、周辺諸国に信頼される戦争認識の再構築なしに有事体制の構築のみを急げば、それはやがてわれわれの頭上に黒雲を呼び寄せる結果になるだろう。

[本項つづく]