獄中面会で晴れた疑い 佐藤ひさよ『私たちの松川事件』p.102 - p.103

あれは昭和26年(1951年)11月だったと思います. 家庭に閉じこもっていた私が宮城厚生協会大仏前幼稚園に勤め始めた頃,一緒に働いていた小野寺きくさん(今は故人となりました)が「ぜひ聞いてもらいたい大事なことがあるから」と誘われてついて行ったのは仙台駅前の街頭でした. その日は寒いみぞれが降っている日でしたが,ちょいちょい幼稚園に顔をみせる小田島さんが松川事件の立看板に写真を貼って,10人位の人達に説明しておられたのでした.


私はびっくりしました. 新聞では読んで知っていましたが,当然20人の人がしたことで,ずいぶん酷いことをしたものだ,捕まるのも当たり前だと疑ってもみませんでした. もちろん警察は正しく私達を守ってくれているのだと思っていましたから….


でも小田島さんの話を聞いてこれが本当だったら恐ろしいことだ,いつ誰がどんな疑いでつかまるかも分からないとしたら安心して暮らしてゆけないと,初めて日本の社会の現実に疑問を持ち始めました


その後,保母さんみんなで給料日に松川カンパを始め,保釈になった二階堂園子さんの話を聞いたり,また高橋晴雄被告の子供さんの恵美ちゃんを幼稚園で預かるようになってから,そのお母さんの話を聞いたりして「これは本当にでっち上げかも知れない」と思ったり「それでもその中には本当にやった人は何人かいるのではないか」と思ったりしていました


その疑いが晴れたのは面会に行ってからでした


杉浦三郎さんの明るい,悠々とした態度,赤間勝美さんの話,鈴木信さんの話を聞いて胸を打たれました.


「内にいると外界のことが全然分かりません. 本当に自分達の無実をどれ位の人が分かってくれているのでしょうか. 教えてください. どのようにしたらもっと分かって貰えるのか」


涙をためて,無実でとらわれていることに対する怒りと焦りを訴えられた時,本当に何もしないでいるのが済まないと思いました. もっともっと皆に分かって貰う努力をしなければと感じました


あれから10年あまり,被告の方達の団結,無実の人を救おう,正しいことのために闘おうとする大勢の力が大きくなり,ついに正しいことが勝ったのは,私の素晴らしい勉強になりました. それから苦しい中でこの力を大きくしてゆく努力をなさった方々に頭の下がる思いです


(さとうひさよ 当時・大仏前幼稚園保母 仙台市在住 71歳)



⇒私たちの松川事件/乳銀杏保育園関係(2/E)id:dempax:19890828