佐藤一『被告』を読んで 安積嘉代『私たちの松川事件』p.168 - p.170

たしか昭和35年(1960年)のお正月のこと,被告と家族を激励する「松川新年会」が仙台市労働会館の一室で開かれました


私はまだそれほど松川に馴染んでいなかったので,職場の石川さんに誘われるままにお客のようなつもりで参加しました. 保釈中の佐藤一さん,二宮豊さん,福島から仙台に来て長町病院で賄いの仕事をしていた二宮さんの奥さん,約60人近い人達の集まりでした


プログラムが進行し,プレゼント交換となりました. 歌を歌いながら各自持参の贈り物を手から手へとぐるぐる廻して,合図があったら皆が手を止めて掌にのったものを自分へのプレゼントとするものですが,松川の活動家は音痴(ごめんなさい)が多いせいか,なかなかうまく運びませんでした


その時ぱっと飛び出して来て,二度,三度と音頭をとりながらやり直しをさせて,ようやくまとめあげた佐藤一さんがとても印象的でした. そして私の手に納まったとても軽い小箱,びっくり箱をあけるような興味を抱きながら,早速ひらいてみると小さな紙片が1枚


「現物がなくて申し訳ありません. この券を平凡社発行の『被告』1冊の引換券にさせて頂きます. 御住所と御名前をお知らせくださるよう御願いします」


それは佐藤一さんの著書です. 私の驚きと喜び


しばらくしてから著者のサイン入りの『被告』[*1]が届きました. 中に一ヵ所だけ思わず吹き出してしまう場面がありましたが,あとはすべて深刻. その時から私は『被告』のとりこになってしまったのです. そしてぐんと『被告』に近づき,せっせと職場のすぐ近くの松対協に通うようになりました


もうひとつの思い出は,職場につくった第17守る会での給料日の端数カンパのこと. 私たちの業務室は係ごとに机がひとかたまりになっていて,私たちはそれを「島」と呼んでいました


その「島」ごとになるべく美しく,目立った小箱を用意して松川の真実を訴える言葉を簡単に書きました.「島」の守る会会員は給料日にその箱を回したわけですが,一人10円としても500円集まればたいしたものと思ったのですが,100円札まで入っていて合計726円. 私たちはびっくり,松対協に持っていったら小田島さんの喜んだこと


私たちは大いに気を良くして給料日だけでなく,毎日置いたらどうだろうと欲張りましたがこれは失敗でした. 職場の中には上役に気兼ねしてか,冷たい目で見る人もいましたが,私たちは毎月の給料日には必ず松川カンパ箱が私たちの「島」にあらわれることによって,一人でも多くの人が松川に対する関心を呼び起こしてくれるように,無罪判決が出るまで続けました


1988年9月


無罪確定25周年レセプションの御案内をいただき,もう25年も前のことかと,遠い昔を思い出します


松川事件は,それまで何も知らずに仕事仕事で働いてきた私の生き方を変えたのでした


たしか・判決後の懇談会だったと思うのですが「えらい人」から松川で自分の考え方が変わったと思う人はいませんかと問われて,手を上げたのが私一人だけだったこと. するとここにいる人達はみんな前からいろいろ知っていた人なのかと,上げた手のやり場がなくて困ったことを思い出しました. 事実私は松川によって生き方の方向転換をし,そのままとしを重ねてきたのですから


(あさかかよ 当時,農林中央金庫仙台支所勤務 横浜市在住. 65歳)



⇒私たちの松川事件/乳銀杏保育園関係(1/2)id:dempax:19890827




*1:佐藤一『人間の記録双書/被告/松川事件の20人』平凡社,1958/10