朝日新聞【1954/10/24(8面)千葉版「灯台」】 問題は半強制的寄付


大原町TS


忠霊搭建設問題について回答があったので, これ以上本欄でとやかくいうのは本意でないが, 若干見解を述べてみたい


原爆,水爆の世の中に, 昔通りの「忠霊搭による永久の霊地」とか, どこの町村でも建設したので建てなければ恥である, とかいう考え方にも問題があると思うが, それはそれとして, 問題をこじらせたのは「半強制的寄付」ただこの一点であると思う


施設を要請したという遺族会会長さえ「浄財によらないでは何の意味もない, それでなければ辞退したい」とまでいっているのに何故むりを通したのか. 浄財を募りその範囲内でやって十分その意は達せられるはずで, 一方的に押し付けるから批判され, 問題が起るのが当然である


遺族会会長が「この企画にさえ不満を表されるのは心外にたえない」といっているが, 企画といっても「純然たる寄付」と「天下り寄付」では企画の企画が違う. 混同されては困る


しかし幸いにも強制的寄付ではないというのでこの旨を町民に徹底させてほしい. それと共に戸別の目標額も撤回すべきだ. せっかく主旨に賛同し寄進される人に差別感を抱かせるようでは申し訳ない. 私も遺族の一人なので感謝こそすれけちをつける気持ちは毛頭ないが, 個人としては, 強制寄付まで仰ぎ建設してもらいたいとは思わない


また忠霊搭は今月中に完成の予定と聞くが, 財源の大部分を寄付としているのに予定通り集まらなかったらどうするつもりなのか. 出たとこ勝負なのか, それともかかる種のものの常道の処理方法なのか不審に耐えない


千円でも分納で月百円で「役場から……」といえば難なく徴収出来るとでも考えているのか. そうだったら町民こそいい面の皮である


この問題に限らないが, 法的には何の権限もないと思われる区長の個人意思を, 区民全体の意思としたり, 何かの企てでもやるような各区毎の天下り寄付はもう止めてほしい. これは全町民の心であると思う


理によって数による明朗な町政の運営であってほしい. 国会が, 県会がというなかれ. まず健全な町村自治が行われることが民主政治の基盤であろう




====大原町の忠霊搭をめぐる議論はここで終り, 流山町の英霊碑に関する投稿を経て, 年末に各々の顛末が記事となる