朝日新聞【1954/10/23(8面)千葉版「灯台」】 忠霊搭建設は当然


印旛郡大森町YS[*1]


近ごろ忠霊搭建設をめぐりいろいろ議論されていますが, 何事によらず善意をもって, 企てたことにも反対のための反対は必ずあるもので, そうした人たちはことさら誇大に自己を主張したがるものです


忠霊搭建設の寄付はお祭りその他の寄付とは全く意味が違うはずです. 戦争当時勇躍郷里を出征された兵士たちをわれわれは何といって激励したでしょうか. またどんな気持ちで見送ったでしょうか. そして遂に生きて還らぬ戦士を思うとき今ここに当時の感激を新たにしてその追憶を祈り, あわせて遺族の心を慰めようとの搭碑の建設は私たちの当然の義務であり人情ではないでしょうか


また戦争うんぬんは論外としてあくまで国を護ろうとした立派な働きを後世に伝えると共に, このような悲劇を再び繰り返さぬよう平和の象徴となることも合わせて考えられるのではないでしょうか


戦後すでに10年, せめて石塔の一つでもと念じながら, それさえかなわぬ幾多遺族を思うと異論の余地はないはずです


私たちの町では一昨年7月建設を企図しました. もちろん最初は二,三反対もありましたが, 遂には全町民挙げて協力, なかには大口寄付や, こちらで遠慮した生活扶助者から自発的に申し出るなど幾多美談もあり, 35%も余計に集まり, 翌年月盛大に除幕式と慰霊祭を挙行しました. その後年一回町主催で慰霊祭を行うことになっています


蘇峰先生はいう


「日本は負けたのではない. 戦争によつて一層民族的自覚を高めた. 戦没された将兵は国家の干□として護国の神である」


私たちは護国の英霊に対しいつまでも感謝の念をもってその追福を祈るとともにその芳名を後世に伝える義務のあることを考えるべきです

*1:YS氏の文体の特徴は文末の【ないでしょうか】だにゃ, 蘇峰先生語録太字強調は引用者による, 【大日本帝国は負けたことがない】認識こそ様々の歪みの始まりだ