服部之総「ドイツ・小ブルジョア・イデオロギー」(抄) 2/

羽仁君はそのリッケルトに,ハイデルベルヒ大学で学ぶしあわせをもった人である. 自分について恥をさらせば,わたしは哲学でも史学でもなく,羽仁君と同じ東大で志賀義雄と一緒に社会学を専攻したのであるが,恥をさらすという意味は,志賀もわたしもあらかじめ「社会学」の実体をちっとも知っていなかったものだから,この科目を撰べばマルキシズムが学ばれるだろうと期待していたのである!その「社会学」界では,そのころもっぱらテニース,ジンメルからフィアカントにいたるドイツ形式社会学が支配していた. それはいわば血の道があがってかんかちの反動と化したドイツ小ブルジョア主義の老石女であった. 西周の墺及斯多・■度の実証主義すら,危険であるとしりぞけられ『コントの実証哲学』(野村書店,1947年)は社会学界の尊敬すべき正義の先輩田辺寿利氏が,ひとり身をもってまもったにとどまる


…無論そのころは『不安』という言葉もないのですが,私自身が過去の社会の中から生れたのであるから,私は近代労働階級の中に立つものというのではなく,滅びて行く過去の階級の中から生まれて来ている. そうすれば自分もやはり滅びて行く過去の中の一人として終るのか,しかも新しい社会というものは,これから次第に成長して行くのが眼に見えている. 勤労階級によって新しい社会がつくられている. それはちょうど大正6年米騒動,日本最初の社会主義,共産主義が発達してきたころで,そういう新しい社会というものが,だんだんと出来て行くらしい. しかし自分は古い階級の中に住んでいるのだ,ということが私を非常に悩まして,自分はどのようにもがいても,滅んでしまう階級の一人に過ぎないのであるか,それとも自分はそういう滅んで行く階級から出て,新しく延びに行く階級に対して,何らかの貢献をすることが出来るのか,という問題が私を次第に歴史というものはどんなものであろうか,ということにつれて行くことになったのであります


『回想の三木清』p.128


多少のセンチメンタルはあっても,ここにはセンセイショナルもソフィスティケーションもなく,すなおに自己が語られているから,かれに同感出来るのである. しかるに,先にすすむと,そうでない


そういう時に,三木さんの『唯物史観と現代の意義』及び我々の『新興科学の旗の下に』という雑誌は,日本の哲学,あるいは日本の思想というものに,確かに一つのエポックを作ったものであります. マルキシズム,あるいは共産主義が,単に一般の政治上の主張ではなくして,人生観の問題であって,また哲学上の問題であるということが,三木さんの『』によって,始めて我々の間に明らかにされたということがいわれております. 共産主義,唯物史観というのは一般の人々にとって,政治的に主張されただけのものだ,というふうに思われていますが,マルキシズム,唯物論,共産主義というものは,現代人にとって,実に哲学的な,人生観的な問題として,考えざるを得ない問題になって来たというふうに私は思います. そういう大きなエポックをつくるほどの業績であればこそ,三木さんに対する社会の批判は非常に厳しくなって来たのであります. そして三木さんは左右からの激しい批判に身をさらして,いろいろな攻撃をうけたのであります. しかもこれは,ネッカア河のチャレンジのようなものではなくして,本当に時代と闘うという批判の中に,身をさらして来たのであります


ibid. p.151


すでにここには,なかなか頭をこまかく使ったソフィスティケーションの手品が仕掛けてあるのである


マルキシズムあるいは