おじいちゃんの戦争 Q&A


《その他,Q&A》⇒2014/11/21 更新分


Q、日本とソ連終戦間際まで不可侵協定を結んで戦ってないのに何故捕虜になったのか?また、なぜ解放されたのか?


A、自分のいた歩兵59連隊はまず1940年にチチハルに行って、
「匪賊」の討伐をした。それから名前は忘れたが大きな川のほとりに行って駐屯していた(慰安婦で女遊びをしていたのはこの時期のこと)。そこにソ連軍が攻め込んできて、捕まってシベリアに連れて行かれた。59連隊の中でだいたい500〜600人程度捕まったのではないか。それは日ソ中立条約(1941年4月締結)の前の話で、シベリアには3〜4年居た。解放された理由は忘れてしまって思い出せない。


Q、当時、日本軍が朝鮮人を強制連行していることは日本国民は知っていたのか?


A、それは知らなかったと思う、秘密にやっていた


Q、慰安婦問題は、なぜ戦後45年間も問題にならなかったのか?


A、当時の朝鮮人は奴隷的な扱いをされるのをやむを得ないというか仕方がないこと、という感覚が染み込んでいたのではないか、だからそもそも慰安婦制度を問題視しなかったのではないか


Q、軍が強制連行や詐欺による誘拐などをやった証拠は一切ないらしいけどどういうこと?


A、それは分からない。証拠が残らないようにやったか、隠滅したんじゃないのか。師団・中隊・連隊等それぞれに、部隊の行動などを指示する事務専門の部署があって、大東亜戦争に負けた後、そこが日本に都合の悪い証拠書類をまとめて燃やして隠滅した、という噂は聞いたことがある


(※これは自分も疑問に思い、歴史学者林博史 教授にも聞いてみました;


林教授の回答:「北朝鮮拉致問題にしても、拉致を指示した文書や拉致現場の映像がどこにあるか。軍隊といえど官僚組織であり、合法性に問題のある行為をする時には証拠を残さないようにやるのが普通。事実を実証する手続きにしたがって行われた研究によるかぎり、それを否定するようなものはない。


詳しくはここを参照してほしいhttp://fightforjustice.info/ とのことでした)


(追記;これに関しては私も不勉強でした。
今では証言以外の証拠文書類もたくさん発見され、詳細に研究されているのです。このあたりを参考にしてください↓


http://fightforjustice.info/?page_id=2650
http://fightforjustice.info/?page_id=2385


Q、今、韓国は10万〜20万人の女性が強制連行されたと言っているがその数値は本当か?


A、そうだな。いろんな部隊が朝鮮人を連れてきていたわけだから、全体としてそういう数も有り得る


Q、朝鮮人は、そういう大規模な強制連行に抗議しなかったのか、それに、中国人がやったように、女を隠すとか逃げるとかすれば良かったじゃないか。


A、逃げられないよ。それに抗議も出来ない。当時の朝鮮は日本の属国だったし、当時の日本軍は『日本に逆らえば殺す』という態度だった、それに朝鮮の各地方ごとに軍隊を駐留させて武力で朝鮮を監視・制圧していた(いわゆる「武断政治」)


だから当時の朝鮮人は日本に逆らったり逃げたり隠したりはできなかった。


Q、シベリアで何をして暮らしていたか?


A、ソ連軍の戦車や兵器を入れておくための壕(横穴)を掘ったりしていた。つまり強制労働。ロシア人の言うことを聞くしかなかった。横穴の収容所の中での暮らしは原始時代のような暮らしだった。


Q、何人くらいの女と遊んだのか


A、10人〜20人くらい。


Q、連行の方法は騙す以外に何があったのか。借金のカタに縛られたり、貧困のために親に売られた女性なども居たと聞いているが?


A、自分のような一兵卒には分からない。もっと上の人でないと。


Q、看護婦募集に応募して騙されたという女以外にどういう朝鮮人の女性が居たか?


A、自分の記憶にはっきり残っているのはその女だけだ。騙されて連れてこられたというケースが一番多かったと思う。当時の朝鮮では日本語教育をやっていたし、話し方や仕草で朝鮮人だと分かった。


Q、女が妊娠したらどうしたのか


A、分からない。ただ、軍から避妊具の支給はあった。


Q、女が病気になったりしたらどうしたのか


A、衛生兵が居て、そういう女はどこかに連れて行かれた。入院させられたのか、死んだのか、その辺は分からない。その辺はおそらく上級の人間が秘密に処理していたと思う。仲間うちで、「こないだ行った時あの女居なかったなぁ」などと喋り合っていた。


Q、慰安所から逃げ出す女は居なかったのか


A、慰安所の周りを、銃を持った兵隊が取り囲んでいた。逃げられなかったと思う。


Q、チチハルは大きな都市だったらしいが、慰安所チチハルの一箇所に固まっていたのか、それとも散在していたのか


A、一箇所に固まっていた。町外れの、農家の、草畑みたいなところ、なるべく人目につかないところに建物(小屋)をいくつも建てて、そこに連れてこられた朝鮮人慰安婦が住み込んで慰安所をやっていた。慰安所の設営は連隊が主体になって秘密にやっていたのだと思う。当時の日本国民は知らなかったことだ。チチハルだけで朝鮮人慰安婦は200人は居たと思う。


Q、チチハル以外の満州の諸都市にも慰安所はあったのか


A、自分は日本を離れ、大連から奉天、そしてチチハルに行った。大連や奉天にはあまり駐屯していなかったので分からない。しかし、チチハルにあったくらいだから、ハルビンなど大きな都市にはもっとあったのではないか?


Q、殺された慰安婦の女は、どういう時に殺されたのか。逆らったりした時か。


A、自分らは殺すなどという事はしなかったが、59連隊の中で、満州事変に参加した連中、つまり自分らの前に行っていた連中は、そういうことをしたと聞いている。朝鮮人支那人も酷い目にあわされたと聞いている。自分は、看護婦募集に応募して来てみたらパンパン屋にされたという少女がかわいそうになり、給料をもらった時、そこから金を渡したりした


Q、大東亜戦争が終わったとき、朝鮮人慰安婦の女はどうなったのか?


A、自分はシベリアからパラオに行ったのでその辺は分からないんだ。全体として、朝鮮人慰安婦にするというのは、大日本帝国政府が決定し、そこから各師団に連絡が行き、さらに朝鮮に連絡が行って、看護婦募集などという名目で朝鮮人女性を騙して召集し、慰安婦にした、そういう流れだったのだと思う。自分が行くより昔は、日本人の慰安婦ももっと居たのだけれど、満州事変や日中戦争の勃発などで内地に帰ってしまった。その代わりに朝鮮人を集めてきたんだ。また、チチハルには日本から来た開拓団も生活していて、彼らは土地を開墾し、農業をやっていた。でも大東亜戦争が始まると日本人はみな日本内地に帰ってしまった。でも朝鮮人は帰さなかった。当時、朝鮮人は、男はドカタで強制労働、女は慰安婦。本当に奴隷扱いだった。


慰安婦問題に関する祖父の証言は間違いなく真実である。祖父が孫である自分にウソの証言をする理由がないし、次のようなものとも内容が一致している。


1、複数の被害者の証言の一致 


2、複数の加害者(日本軍人)の証言の一致
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1
(日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態)


3、日本政府見解の一致(河野談話etc)


4、韓国政府見解の一致


5、アメリカ政府見解の一致


6、教科書の記述の一致


7、大方の歴史学者の見解の一致


8、海外の複数の学者の見解の一致


9、国連のいくつもの人権機関の見解 


10、軍の関与を裏付ける様々な資料の存在 http://fightforjustice.info/?page_id=608 


慰安婦問題をウソだ捏造だという人は、これら全てがウソ、間違い、でっち上げだと言うつもりだろうか?いくらなんでもそれはあり得ない!慰安婦の強制性と軍の関与は真実である。


作り話だと思われないよう、祖父の軍歴・部隊名などを書いておく。


大正9年3月1日生 陸軍軍曹(陸軍上級下士官


氏は戦時下成人徴兵検査甲種合格 現役にて宇都宮第59連隊に入営する


一期検閲後満州派遣軍に編入されチチハル
ソ満国境警備任務につく 大東亜戦争末期に南方派遣軍に編入されパラオ郡島アンガウル島へ進攻 更にパラオ本島に進攻


連合軍と死闘中に九死に一生を得て終戦を迎えた アメリカ軍により武装解除され収容所生活約一年余り根性で耐え忍び浦賀港に復員を果した立派な陸軍下士官であった


(平成22年10月、90歳のお祝いに国から贈られた記念顕彰より)


参考サイト 


★アンガウルの戦い 歩兵第59連隊
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


朝鮮人慰安婦」の証言
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101204.html
(↑チチハルという地名が出てくる)


山川出版社 日本史B用語集「朝鮮人強制連行」
http://i.imgur.com/Zo3eOwq.jpg http://i.imgur.com/jtdK2M0.jpg 
http://i.imgur.com/E5jnjud.jpg(記念顕彰の額縁)(中央が祖父、右は祖母(故人))
http://i.imgur.com/WWBIIIS.jpg(その説明文)


★日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

http://fightforjustice.info/
(↑まさに「正義のために戦う」・・・私は林教授のこのサイトの趣旨に全面的に賛同します)


※この証言内容を歴史学者林博史 教授に送ったところ、貴重な証言である、ぜひおじいさんの証言を文字にして後世に残していって欲しい、慰安婦の強制性や軍の関与は歴史学界では当然の事実として認められていることで、否定する人たちのほとんどは、文学や思想などフィクションの世界の人たちでしょう、


との回答を頂きました。


そこで私はこのサイトに証言内容をまとめた次第です。


※さらに、林博史 先生のサイトに紹介していただくことが出来ました。

http://www.geocities.jp/hhhirofumi/index.html(14年10月6日更新分)