報告の要点 (2)支配階級の構成に就いて

(2)支配階級の構成に就て



a. 明治維新ブルジョア革命について


明治維新の革命はブルジョア革命ではない. 23年憲法制定がブルジョア革命であるとの見解


革命の性質は何人がそれをやつたかに依て判断するのでなくその社会的内容の如何に就て決定されるものである. 明治維新の革命は成程近代的ブルジョアの手に依て行はれたものではない. 然しこの革命の社会的内容と意義は封建制度を叩き潰し資本主義社会に道を開いたと云ふ所にある. 政治権力は地主を代表する宮廷軍閥の手に残ったと雖も然し彼等は急速に資本主義発達に社会を推進めざるを得なかつた社会的状勢即ち資本主義に発達すべき要素の内包を見逃すことが出来ないのである. 勿論この革命が不徹底に終つたことは事実である. ブルジョアが権力を握らなかつたこと, 地主を叩き潰さなかつたこと従つてブルジョアデモクラシーが徹底しなかつたことがそれである



b. 封建残存と専制遺制


明治維新の革命は封建大名を叩き潰したが封建制度を完全に撤廃しなかつた. 然し23年にこの残存を整理した. 然し専制的遺制を残した. だから23年のブルジョア革命迄は封建的残存物の掃蕩の問題だが, 23年以後は専制的遺制の掃蕩が問題であるとの見解に於て


然しながらこの遺制と云ふのは経済的に階級的に何であるか, ブルジョア化した××か地主の×××かが問題である. 本来この××は地主階級の政治的表現だ. 従つて封建的勢力である. ××と大名を何か特別に異つた階級の如く考へることは誤つている. かく考へることは不知の中にブルジョア教育が骨の髄まで浸み込んでいる証拠である. 然しながら今日の××は果してブルジョア化しているかどうかは別問題である



c. ブルジョアの政治的成長と今日の地位


(1)日清の戦役を経て国家保護の下に資本主義経済組織の発達, それに伴ふ, ブルジョア政治勢力の成長と革命的抬頭に依て, 立憲政治の獲得, これも不徹底に終つた


(2)日露戦争を経て産業資本より金融資本へ向上し, 帝国主義段階に突入した. ここに於て労農階級の反抗の増大に当面した彼等は専制的遺制と妥協し革命的性質を失ひ, 今日に於ては既にファシズムの新たなる独裁の要望を持つていること, といふ見解に於て


然し今日彼等はファシズムの新たなる独裁を要望しているだらうが, 本来ファシズムはそれ自身, 中産階級の要求であり理論である, そしてそれが実現される時期は資本主義の激変期, 混乱期に於て大資本閥が自己の支配の維持のために一時この理論と目的に妥協して行はれるものであるのだ. 然し今日日本はこのファシズムが行はれる所の混乱期に直面しているか, 三井三菱はそれを要求しているかどうか現段階を急激なる段階に規定する以上かかる主張は当然に出てくるのである



d. 支配階級の構成に就いて


従来の見解は××軍閥, 官僚, 即ちモナーキーと地主, 資本家の三位一体説である. 新たな見解は専制的遺制と資本家の抱合説である


両者共に専制君主が階級的に何であるかに就いて全然無智である. 本来××官僚軍閥は一つの階級でなくて, 地主階級の武力的表現である. 然るに日本のそれは何か, ブルジョア××だとすれば即ち経済的にも階級的にもブルジョア化しているものだとすれば革命の目的が異なつてくる. 又彼は今日何等経済的にも政治的にも力を持つていない. 伝統之至, イデオロギーとして支配的力を持つているに過ぎない, と云ふ人もある. それでも結局革命の目的が異なつてくる. 今日の××はブルジョア××ではなく彼の所有する土地の強大なること及彼の主たる経済的地位は土地にあること, 勿論彼は今日株を持ちブルジョア的関係を多分に持つてはいる. 然し階級的にブルジョアと云ふことは出来ぬ. そこで彼は今日に於ても地主であると見ることが適当だ. 故に今日の政権は地主とブルジョアのブロックにあると解すべきである. 然しながらこのブロックに於ての決定的な力を持つているものは云ふまでもなくブルジョアジーだ. そこで政権の運用はブルジョア党によつて行はれている




e. プロレタリアートの地位


プロレタリアは今日組合主義的闘争意識から全無産階級的政治闘争意識に高揚されたといふ見解は正しいか? さうではない. 自然発生的な闘争から漸次政治的な自覚を得つつあるので組合はストライキから生まれると云ふ状態であり組織が分散しているKPが成立されていないこと. 昨年に至つて政治的一歩前進たる闘争組織を作り出したがまだそれも統一されていない. この事実はレーニン主義的革命闘争意識にあると云ふことは云へない



f. 農民の地位


農民に就いては従来確固たる見解がない. 半プロレタリア要素といふ見解もあり, 専制的遺制の払拭に終始する小農民をいふ, 結局何だか解らない. 問題は大地主の下に隷属する農奴か, 又は維新のブルジョア革命に依て生じた自由農民か, 農業資本家の下に於ける労働者であるか. 或る論者は今日の地主はブルジョア化している. だから日本は今日地主は居ないと断定している. 然しこれは大間違いだ. 今日農村に於ける生産関係は依然として封建的生産関係である. 現物搾取による階級関係に支配されているのである. ブルジョア化していると云ふことは株を持ち銀行に金を預けているといふことを云ふのだらうかうか. それだけでは地主がないとは云へない. 地主は現物搾取の生産関係に於て生ずる階級関係に於ける搾取者だ. 今日の小農民の大多数を占める小作人は労働者と云ふことは出来ないのである




⇒(3)革命の展望について