報告の要点 (3)革命の展望に就いて

(3)革命の展望に就いて


従来の見解は日本では第一革命即ちブルジョアデモクラシーの革命を経て第二革命プロレタリア革命へ進むものと規定した


新見解は第一第二革命の公式に固着せず第一革命のブルジョア革命の進行中に内的必然の発達に依つて第二革命を成就するものである或は前者の見解は今日に於ては第一革命の遂行は必然に第二革命にまでその闘争を発展せしめずには置かない情勢にあるが故に第一を経てから第二に進むといふ機械的に解すべきでないと云ふ様にも云はれていた即ち第一が確立しない中に第二に進まなければならぬものだ然しながら何故に第一が当面必要か××があるからブルジョアデモクラシーが徹底化されていないからと云ふにある. 然しながら前述せる如く××の経済的及階級的性質が明確でない. 農民の社会的, 階級的, 経済的地位が明確でない. 従つてこの見解は一般的, 抽象的規定に止まるのであつて, 日本の具体的客観的事実に立脚した所の具体的見解とは云はれない. 第二の見解も前者と同じく何等客観的条件の具体的見解の上に立脚していない. 旧い方法の第一が確立しない中に第二に進まなければならぬ, (何故さうなるべきかを示さず)と主義的意識を強調するのみであると同じく第二に於ても内的必然に依つて, と云つて客観的条件の転化でなく, 主観のみの転換によつて出来るもの, 又やらねばならぬものと規定するが如き明白に主観論である. 何故に第一革命が必要か, その革命の経済上政治上の性質を日本今日の具体的事実に即して充分に見ることが最も重要である. 第一革命の典型的な内容は, 経済的には大地主の土地が没落され解放された小自由農民の発生, 経済上の自由主義の徹底にある. 政治上には地主の権力封建的専制政治の打破, その上にブルジョアデモクラシーの徹底である. そこで今日日本に於てはどうか? 既に地主がなくなつたか, 今日の農民は解放された自由農民か, 今日の地主は近代的資本家か農業資本家であるか, 又小作人はプロレタリアであるか, 明かにさうではない. 勿論今日典型的な封建的領主と農奴はいない事明白だ. 然し地主は居る. それは今日農業資本家とは云はれないであらう, 土地のない農民は極めて多い. 然しそれは, プロレタリアートであらうか, さうではない. 現物の搾取を基礎とする封建的搾取関係に置かれている小作人であらう. ここに日本に於ては資本主義革命を先ず徹底化する必要のある社会的経済的根拠がある


政治的に地主の権力は一掃されたか, さうではない. 今日の政権は地主とブルジョアとのブロックである. 今日××の経済的基礎は消失している. ただ伝統, イデオロギーとしてこれの勢力は残つているのだと云ふ見解は根本的に誤謬だ. ブルジョアデモクラシーの徹底していない××の存在はこれを立証する. ここに経済的にも政治的にも先ず第一革命を行はなければならぬ必要の根拠がある. 然しながら今日ブルジョア自身がこの革命を行ふことを放棄し即ち労農階級反抗の抬頭は必然に彼等を地主と妥協せしめ, 政治権力は地主とブルジョアとのブロックの手中に握られ, 而もこの妥協を通じて却つてブルジョアが政権を運用している時に於てはこのブルジョア革命はプロレタリアと小農民の同盟軍の手に依つて行はれなければならぬ事は必然である. その事は又必然にブロックそのものの中核を突く事になるが故に, 日本に於けるブルジョア革命はプロレタリア革命の展望を生みその方向と結びつかずして意義はないのである


一言加へる


日本は今日没落期帝国主義時代であること(没落期は没落の現段階と間違へてはならぬ)労働階級に加はる帝国主義強圧の時代である. そのことは必然に労働階級の反抗を激発させずには置かない. そこで労働階級は闘争の表面に表はれてくる(この事実を或る一部の連中は全部と見る, そこで今日は純粋の資本家の政権に対する労働者の反帝国主義的闘争であると断言する)然し日本帝国主義は発達の特殊なる条件の下に於てその構成の内部に非資本主義的生産関係を持つている. そしてそれを今日に於ては解決出来なくなつてしまつている, その事が農村に於ける小農民の革命的抬頭を誘致している, (今日の日本帝国主義を純粹なるものとして専制勢力は経済的基礎を消失している. 地主はブルジョア化した. と云ふ見解を持つ連中にはこの小農民の革命的抬頭の意義が解らない. 各地に爆発する農民の暴動をただ農村の貧窮化の現象と見るに過ぎない)そこで日本に於ては労働者階級の帝国主義時代に於ける闘争の出発は, 他方農村に於ける小農民のブルジョア革命と結びつく. ここに労働者階級の当面の闘争の対象とその同盟, ヘゲモニー及将来の展望を見なければならぬのである. 然し当面の政治的目標を専制主義の倒壊に置くと云ふことを今日の政権はブルジョアと地主のブロックであるからこの専制的遺制の倒壊はブルジョアを中立化せしめるものであると解するならば根本的誤謬である. 然しかかる見解は多かれ少なかれ我々の陣営にあつたと云ふことを認めなければならぬ


地主とブルジョアのブロックは今日に於ては地主の指導にあるのではなくブルジョアの指導にあると云ふことを認めなければならぬ


地主とブルジョアのブロックは今日に於ては地主の指導にあるのではなくブルジョアの指導にあると云ふ点を注意せねばならぬ. さうでないと前述せる誤謬に陥る


全無産階級的政治闘争(革命的労働者階級闘争)が時に依つては全階級的政治闘争(労働者,農民小ブル,資本家全部の階級闘争,専制主義に対する)と云はれ又は小市民的階級闘争に解されるが如き現実的な闘争の展開があつたと云ふことは実は唯単に専制的遺制とブルジョアのブロックに政権は握られていると云ふ一般的抽象規定があつたからである




⇒(3)KPの問題