我孫子市(1985/12/03)
= 平和の記念碑 =
[*1]街は静かな朝を迎えていた 1945年8月6日[*2]午前8時15分 人類最初の原子爆弾は広島市に投下された 鋭い閃光を放ち爆発した原子爆弾は 巨大な火の玉と化し 熱線と爆風をこの街にたたきつけた 大人も子どもも街と共に消え失せた
この石は 爆心地に近い広島市庁舎の側壁と敷石である もの言わぬ被爆の証人として 人々の心に訴えている
再び戦争というあやまちを繰り返してはならない…と
「平和都市宣言」
世界の恒久平和は 人類共通の願いである しかしながら 今日なお世界の動きは 核戦争の危機をはらみ 誠に憂慮にたえない わが国は唯一の被爆国として 核兵器の恐ろしさと被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え 再び広島長崎の惨禍を繰り返してはならない
我孫子市は 市民の生命と安全を守るため いかなる国のいかなる核兵器に対しても その廃絶を求め ここに平和都市を宣言する
1985年12月3日
[英文 A CITY OF PEACE 略す]
平和首長会議
A Mayors for Peace
広島の平和記念公園の「平和の灯」の火
1945年8月6日[*3]午前8時15分 一発の原子爆弾により広島の街は廃墟と化し その年の暮れまでに14万人もの市民が亡くなりました この火は 広島の平和記念公園内の「平和の灯」から分火したものです 「平和の灯」は「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という趣旨で1964年8月1日に設置され 全国12宗派から寄せられた「宗教の火」と溶鉱炉などの全国の工場施設から届けられた「産業の火」が1945年8月6日生まれの7人の広島の乙女により点火されました
「平和の灯」から分火された火が 貴自治体の平和のシンボルとなることを心から願っています
平和首長会議
QRコードを読むと「平和の灯」の位置情報が表示されます