= 地方職員室主任に全員女性を専任 =

(以下 p.147〜p.149 より写経途中)

■(労働省婦人少年)局長に山川菊栄が就任


初代婦人少年局長に菊栄が決まるまでには多少の経緯[いきさつ]がありました 日本政府はじまって以来の女性の局長(戦前は官界=役所は男性の「聖域」で「女人禁制」でした)ということで一時は女医で保守系の山本杉などの名が下馬評にのぼったりしました 結局 加藤シヅエ(石本静枝)や赤松常子ら社会党婦人部の推薦により「婦人問題に権威があり 貢献した人で 戦争に協力しなかった人」(加藤談)ということで 菊栄に決まったといいます


菊栄自身は 就任の経緯について のち次のように述べています


「昭和22年8月の中頃 私が四国の講演旅行から帰るとすぐ 片山内閣のもとで新設の労働省婦人少年局長にはいらないかとの話 何故もっと活動している婦人たちが引き受けないかと思ったら そういう人々は大抵議員で 大臣や次官なら兎に角 局長なんて安月給の小役人は真っ平というので人が決まらず困っているという 私は第一次大戦後できた合衆国労働省婦人局統計資料を太平洋戦争の始まる時まで約20年間寄贈され日本でもああいう仕事ができるのはよいことと思ったので簡単に引き受けました」(「自由党下の労働官僚」『社会主義』1951年8月号)