II-3 救護及警備活動-2 縣の活動 2.混亂期(下) 4. 自警団と鮮人保護(296頁)

1日の激震後餘震に次ぐ餘震を以てし 爲に民心不安に戰く折柄東京方面より殺到する避難民は その火災につき種々なる流言浮説を爲し 浮説は浮説を産み益々民心の不安を深からしめた 殊に不逞の徒の横行を説く者もあつて人心恟々 2日夜來在郷軍人・青年團員・消防組員・保安組合員等は悉く自警の方法を講じた 軍隊が出動警戒に當たり人心鎮撫に努めたが 6日以降は戒厳令に依る警備も行はれ民心大に安堵した 10日以降には軍隊及警察力に依る警戒網組織的に普く行渡り 自警團の警戒は殆ど其の跡を絶ち 稀に少數の消防組員及青年團等が消防・盗難等の警戒を爲しているに過ぎなかつた 其の後日を経るに従ひ鎮静に赴き漸次生業に従事するに至り 15日以降は概ね常時と異なるものがなかつた


これより先 浮説の流布に因り特に鮮人を保護するの急務を認め 縣は避難鮮人を一定の場所に於て之を保護した 最も多數鮮人の居住せる東葛飾郡方面の實情を調査して 最善の保護策として陸軍當局と協議し陸軍の施設せる収容救護所たる習志野廠舎にて収容することとなつた 當時安房郡鴨川町在住土工60人は其の地方に於て格別の危害を受くる虞はなかつたが 災害の影響に依り従事中の鐡道工事延期となり差當り就職し能はない關係から 人心も安定しない折柄とて之を解散せしむるも策の得たものでないことを思ひ 鴨川分署及同町役場に命じ食糧その他の給與をなし 人心安定と共に徐ろに就職せしむることに手配した


當時斯く一般が鮮人を恐怖した原因と見られるべきは未曾有の大激震に際し各種強烈なる刺激に戰く民衆の間に 今次の帝都大火の主なる原因が一部不逞の徒の放火所爲なりと風評が耳より耳へ傳へられ 交通通信の途絶はその眞相を攫むの途なく徒らに狼狽と錯誤との爲にその集團の來襲を恐るる疑心暗鬼を生じたものであると斷ぜざるを得ない 故に官憲又は心ある要路の人々よりは屡々[*1]人心が冷静に歸るべきことを諭説し 鮮人保護の急務を認めたのであつた


縣の調査によると當時縣下に在住したる鮮人は極めて少數であつて 當時現在の職業別を見るに


□ 土工及人夫 317


□ 飴行商其他 54


□ 學生 6


□ 雇人 6


□ 人力車夫 職工 6


□ 歯科醫 1


の計390名であり 何れも其の言動注意を要すと認むる者無く 殊に前述の鴨川在住の土工60及縣下散在の21は全く特に収容保護を要せざるため その餘の309名と東京方面より避難し來れる146名と計455名を前述の習志野廠舎に収容保護したのであつた 尚習志野廠舎に収容せる支鮮人の數は4753人に達した これ等は混亂の際各方面から集中したものであつて 縣警察部は陸軍と協力し之等に對し保護を加へた


収容鮮人に付ては 朝鮮総督府の斡旋に依り9月下旬より順次本國に歸還せしめ10月24日を以て全部完了 収容所を閉止したのであつた


縣が鮮人に對する保護の方針は概要左の如くであつた


□ 救護に當ては一般罹災民と差別せず全く同様に取扱ふこと 但し原籍・住所・氏名・職業を調査し置くこと 所持品其の他は嚴密調査のこと


□ 鮮人に關する流言浮説は速に事實の有無を調査し無稽の浮説は嚴に取締ること


□ 救護者は離散せしめぬよう可成一定の場所に収容すること





*1:屡々 るる 度々 p.400