■ 吉原遊郭

日本橋の宜(ねぎ)町にあった吉原遊郭は明暦2年江戸大火の後 浅草田■に移転したのであるが 近年市区の発展で吉原附近が■■の町屋となつたので今回の全焼を機として早くも風紀上の転地説が行われている されど罹災の楼主連はそれに頓着せず 復活の応急策として合資会社を組織し全廓内に仮屋を建てて営業を開始せんとしている ちなみにいう 罹災前吉原全体の娼妓は26百名弱であつたがうち千名以上は焼死し 4,5百名は逃走および抱主の一家全滅で自然解放もあり かたがた現存は千名内外に過ぎないという