2016-12-20 背景と問題の所在 「不時着」か「墜落」かと騒がしかったが…どちらにしろ MV-22 オスプレイが大破に至る事故を起こしたことは、既に共通の認識だろう[*1] オスプレイを飛ばすことに利益を見出だす者たちが大破に至る事故を「不時着」と呼び過少評価することが当然である以上、ニュー日本語批判に意味があるのだろうか?越えることの出来ない【深くて暗い河】[*2]などほっておこう[*3] 必要なのは事故や故障・安全をラジカルかつ原則的に考察することだろう。基本にたちもどって考える上で参考になるだろう材料を幾つか挙げてみたい *1:「アメリカ様がおっしゃるから事故ではない」の防衛大臣=稲田朋美のような傀儡は別として *2:C by 野坂昭如 *3:オーウェル的ニュー日本語批判が大切であることを否定はしないが、彼等と同じレベルでの空虚な「論争」は彼等を手伝うだけになるだろう