藤井日達「聖域」の建設

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「聖域」の建設

高祖日蓮大聖人第七百年御遠忌[ごおんき]記念法要法話


1981年4月27日


千葉県清澄山道場


藤井日達



南無妙法蓮華経


核軍備競争論者の間に近日「聖域」という言葉が叫ばれる


「聖域」とは、神聖なる区域という熟語の省略であるのか、そもそも「神聖」などの文字は、唯物論には無用である。いわんや殺人破壊の専門人夫[にんぷ]の軍隊の口には「神聖」などの言葉があっては、その職業は成り立たない。「聖域」などの文字は唯心論者、特に宗教道徳の社会においては、その社会の中心生命となるもので「神聖」の二文字を離れた宗教もなければ、倫理もない


核兵器は疑いもなく、人類を全滅せしむる大罪悪器であるし、この大罪悪の兵器を開発し、蓄積し、使用することに競争せるソ連アメリカは、双方共に核兵器の危難を免がるる方法を発見して、これを「聖域」と名づけた。是[かく]の如き 「聖域」は、まことに世界万国全人類の誰もが求めてやまざるところである。「聖域」の発見は、ソ米両国の指導者が会談し、合意したというただそれだけであった