【2】歴史教育者協議会=編『歴史教育50年のあゆみと課題』未来社,1997/08/27


歴史教育50年のあゆみと課題


『朝日評論』朝日新聞社,1947年3月号,4月号→【座談会出席者】羽仁五郎,井上清,藤間生大,小池喜孝


座談会での『くにのあゆみ』批判の要点を以下に列挙する


「1. 日本のあけぼの」においては【氏と姓制度】が元来,【社会組織】という観点で十分とらえきれていない. また【蝦夷征伐,熊襲征伐】の問題も【奴隷獲得】としてとらえきれていない


「2. 開け行く日本」においては【大化の改新】によって人民がどうなったかということが出されておらず,したがって【大化の改新】と奈良時代の大仏建立との関連が不明確になっている


「3. 平安京の時代」においては,この時期が【古代の没落】の時代として把握されておらず,したがって【古代の担当者である貴族がどれほど腐敗堕落したか,そのために民族の生命が非常に危うくなった】ことなどがとらえきれず,武士社会への発展の過程が明かでない


「4. 武家政治」においては【ただ政権が貴族から武士に変ったのではなく,社会が変ったのだ】という点が出ないため,そういう視点からは欠くことのできない【承久の乱】が欠落しており,それと対照的な【建武中興】が不当に大きく位置づけられている


「5. 鎌倉から室町へ」においては【新しい時代への動き】としての山城国一揆や堺の自由都市のことが正しく位置づけられていない


「6. 安土と桃山」においては,検地とか刀狩の問題が【封建支配の再編成の問題】として把握されていない


「7. 江戸幕府」においては,とりわけ封建社会における支配階級と人民の立場との違いが不明確であり,そのため一つ一つの字句の使い方にも問題がある


「8. 江戸と大阪」においては「7.」と同じ問題点とともに,加えて【農村のすがた】や【百姓一揆】の問題にふれていない. また八代将軍・吉宗の時期が社会経済史的観点からみても重要であるにもかかわらず平板に書かれているため【時代のうごきがわからない】ものとなっている


「9. 幕府の衰亡」においては【封建制度を打破して明治維新ができたのであって,その封建制度を打破しなければ明治維新はできなかった】という観点のもとに【その打倒の関係をもっとはっきり】出すことが重要である. したがって【商業資本がなにかで腐ってぐずぐずと崩れてもちきれなくなって明治維新になった】という【腐敗史観】は問題があり,これでは【国民の自尊心を高める】ことはできない


「10. 明治の維新」「11. 世界と日本」「12. 大正から昭和へ」といういわゆる日本近現代史においては【子どもたちが現在というものをつかまえなければならない,そうとう大事なところ】という観点が必要にもかかわらずこの観点は不明確である. また,この日本近現代史が【五箇条の御誓文】に始まり,1946年1月1日の【天皇人間宣言詔勅】で終わるという天皇中心主義的内容になっている


以上の『くにのあゆみ』批判の要点の全体的特質は,日本の歴史を「社会の形成・発展の観点」からとらえる立場からの批判であり,そしてその立場こそが社会の形成・発展を支える人民・民衆の生活とそのたたかいの立場でもあることを強調すべきだとするに見出される


したがって日本史教育の重要な課題として,歴史学の成果に依拠しつつ,いかに社会構成史的な視点で人民・民衆の民主主義的な伝統を組み込むかが提起されていたのである. まさに戦前の歴史教育・日本史(国史)教育から一貫して不十分ないし欠落していた問題点が洗い出されたところに,その批判の積極的意義が見出される


歴史教育50年のあゆみと課題』p.37-p.39


井上清『くにのあゆみ批判』解放社,1947年 [*1]

*1:井上清の批判について,家永三郎「戦後の歴史教育」p.321が少しふれている