『くにのあゆみ』をめぐる抜き書き


ぼくが,戦後いちばん最初に運動的な動きに多少関係したのは自由懇話会だった. それも,だれが案内してくれたというわけではなく,朝日新聞に,交詢社の何号室で自由懇話会があると書かれていたのを見ていったのだった…交詢社というのは学生時代,研究発表などに使った慶応のクラブのようなものだったから,懐かしくもあり,交詢社の自由懇話会の会合へ出たのだった…そして46年の秋,この自由懇話会で『くにのあゆみ』批判の会をする,講師は伊豆公夫先生だという. ぼくは戦争中,伊豆先生の本を読んでいた. 唯物史観の立場で詩を書いて投獄されたことなども聞いていたから,その謦咳に接しようと思って出席した…人ぐらい参加していただろうか. そうしたら新島[繁]さんは組織者なのだろう,いきなり「今日は伊豆先生の講義のあと,講師として安部眞琴先生,田中惣五郎先生,金沢甚衛先生,高橋眞一先生をお呼びしている」という. 少なくともぼくは,呼ばれたのではなく,一参加者だったのだが,他の人たちといっしょにしゃべった. そして,当時のが録音して,すぐラジオで放送された. そして,その録音が本になった. これが『くにのあゆみ』批判のトップだったろう


[…一段落,省略…]


46年の秋に小学校用の『くにのあゆみ』,中等学校用の『日本の歴史』が,文部省から発行され,日本史の授業も再開された. だが,ぼくはいささかがっかりした. 戦争が終って,今度はいい教科書が出るかと思ったが「これでは」という気持ちだった…47年には民科の『科学年鑑』に「『くにのあゆみ』をめぐって」を書いた.短い枚数ではあったが引用もきちんとして力を入れて書いた…