【読書案内】
■鹿野政直「飯島喜美 革命運動史上の光芒」
鹿野政直『鹿野政直思想史論集 第六巻 個性のふるまい』岩波書店,2008/04/08 p.317-p.334
鹿野政直『歴史のなかの個性たち - 日本の近代を裂く』有斐閣選書916,1989/3/30 p.33-p.54
初出…『婦人公論』No.669(1972/2月)「埋もれた婦人運動家(2) 飯島喜美」【女工哀史で名高い東京モスリンの女工タマちゃんは昭和初頭, 弾圧の嵐吹き荒ぶさなかを密航してプロフィンテルン大会に参加した. 非転向のまま24歳で獄死】[*1]
■広井暢子『時代を生きた革命家たち』新日本出版社,1998/6/30
「モスクワで演説した女性労働者 飯島喜美」p.115-p.120
■広井暢子『女性革命家たちの生涯』新日本出版社,1989/5/20
「飯島きみ モスクワで演説した婦人労働者」p.59-p.68
■山岸一章『不屈の青春 ある共産党員の記録』新日本出版社,1969/4/30
「紡績労働者の飯島喜美 コンパクトに「闘争・死」の文字」p.35-p.54
□(現品未確認)日本共産党中央委員会『こころざしつつたふれし少女[*2]: 戦前の日本共産党員のたたかいは国民の宝』日本共産党中央委員会出版局,1993/2 60p.
天皇制政府の迫害によっていずれも20歳代前半で命を奪われた4人の女性党員、伊藤千代子、高島満兎、田中サガヨ、飯島喜美の姿を再現。
■『日本共産党の八十年/1922-2002』日本共産党中央委員会,2003/01/20
「80年党史」の飯島喜美への言及を紹介します
第二章:侵略戦争に反対し民主主義をもとめた不屈のたたかい
第二節:侵略戦争反対をつらぬいて
暴圧下の不屈のたたかい p.46-p.48より
[…前半省略…]
戦前, 少なからぬ女性党員が, 天皇制政府の暴圧に抗して不屈にたたかい, 社会進歩の事業に青春をささげました
女性の活動や組織化に力をつくすなかで33年5月に検挙され, 35年に獄死した飯島喜美の遺品のコンパクトには『闘争・死』の文字が刻まれていました. 共青中央機関紙『無産青年』編集局ではたらき, 各地に配布網を組織した高島漫兎(みと)は, 33年3月, 活動中特高におそわれ二階から飛び降りて脊髄複雑骨折の重症を負い, 翌年7月, 下半身不随のまま死去しました
「赤旗」中央配布局で「赤旗」の配布をうけもった田中サガヨも弾圧に倒れた一人です, 33年12月に検挙された田中は, 獄中でちり紙に姉への手紙を書き「信念をまっとうする上においては, いかなるいばらの道であろうと, よしや死の道であろうと覚悟の前です. お姉さん私は決して悪いことをしたのではありません. お願いですから気をおとさないでください」としるし, 35年5月に生涯を閉じました
「三・一五事件」で検挙された伊藤千代子は, 天皇制権力に屈服して党と国民を裏切った夫への同調を拒否し, 拷問,虐待に耐えてがんばりぬき, 翌年, 急性肺炎で亡くなりました. 彼女の女学校の先生だったアララギ派歌人の土屋文明は, 言論統制の厳しい戦時下の1935年に, 理想に殉じた伊藤千代子によせて「こころざしつつたふれし少女よ新しき光の中に置きて思はむ」とうたいました
彼女たちが, 党の若く困難な時期にそれぞれが24歳という若さで, 侵略戦争に反対し, 国民が主人公の日本をもとめて働いたことは, 日本共産党の誇りです
■ゲ・エム・アディベコフ●梅田美代子訳『プロフィンテルン小史』大月書店(国民文庫=437),1973/3/20⇒プロフィンテルン行動綱領から女性労働者の方針を抜きがきid:dempax:20151020
■『前衛』No.138(1958/3月)p.113 伊藤憲一「無名戦士の墓に」⇒id:dempax:19580301
■山本正美『激動の時代に生きて…一共産主義者の手記』マルジュ社社会評論社,1985/8/1⇒id:dempax:19850802 『アカハタ』1958/7/2追悼記事を含む【必要な複写は確保済み〜入力はこれから】
■治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟編『抵抗の群像 機関紙『不屈』掲載 第一集』光陽出版社,2008/3/15
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部⇒http://www7.plala.or.jp/tian/