飯島喜美のたたかいを偲ぶ 獄死(から)80年記念集会
■呼びかけ文…今年12月18日は,治安維持法で逮捕された千葉県旭市出身の飯島喜美さんが栃木刑務所で無念の獄死を遂げて80年となります. 彼女のたたかいを偲ぶため,千葉県治安維持法国家賠償要求同盟は共催で記念集会を開きます. 当日会場には,飯島喜美が獄中に残した「闘争・死」と刻んだコンパクトはじめ貴重な遺品が展示されます(展示担当=松戸支部・藤田)
■日時…2015/11/7 14:00〜
■会場…千葉市自治体福祉センター(自治労連ビル4F)会議室 【県立中央図書館から県庁に向かって正面やや左に見える【こどものえほんエルム】の隣, 入り口に「労働法律相談」看板の建物】
■講演…24歳で獄死した飯島喜美のたたかいと生涯から学ぶもの(仮題)
■講師
□冨田信男(治安維持法国家賠償要求同盟中央本部顧問・飯島喜美研究者)
□玉川寛治[*1]「東京モスリン亀戸工場と飯島喜美」(仮題)
■飯島喜美略歴[*2]
飯島喜美さんは1911年12月17日,提灯業を営む父亀吉,母ちかの長女として千葉県匝瑳[そうさ]郡共和村(現旭市)鎌数4217に生まれた. 18年尋常小学校入学, 23年卒業後, 女中奉公
1927年2月, 東京モスリン紡織亀戸工場(現在・東京キャラコ)で働く. 15歳. 女工員養成科在学中. 伊藤憲一らの指導で関東青年前衛隊亀戸分隊に参加. この年夏, 争議起こり飯島喜美も参加. 翌28年, 第二工場500人スト指導. 亀戸工場組織の責任者となる
1929年工場新聞『鬼車』を発行して執筆と配布活動, 5月共産党に入党. 17歳. 東京モスリン亀戸工場細胞に所属し細胞長に, 細胞新聞『羊の毛』発行. 8月, 全協東京モスリン亀戸工場細胞責任者. 30年モスクワ・プロフィンテルン5回大会に繊維労働者として参加. 31年共産党中央婦人部長. 『赤旗』[せっき]に論文. 「32年テーゼ」作成の会議に出席.
1933年5月活動中, 活動中検挙. 市ヶ谷刑務所未決監. 7,8年の実刑判決. 栃木刑務所収監
1935年12月1日, 父宛「キミキトク」の電報. 12月18日午前5時, 非転向のまま獄死. 遺品は手紙数通,1円1銭の現金,真鍮製のコンパクト. 24歳の若さであった
--- 以上「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟 松戸・鎌ヶ谷支部ニュース 」創刊号(2015/9/23)より転載[*3]